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2008年12月26日 (金)

感動を探して生きる

12月2日(火)
教区HP「くらしにじぃーん」の取材で、あるご住職にお会いしてきました。教区HPに載せる前に、このブログで詳しく書くわけにはいきませんが、印象に残ったことを少々…。
 
昨日、当寺仏教青年会「白骨の会」について書きました。私は、縁あって仏教青年会を立ち上げることが出来ましたが、「なにかしら会を作りたいけれど、なかなかできなくて」と言う方もいます。
お寺としてなにかやりたいけど…というところで立ち止まっている僧侶について、「感動を探す努力を怠っているような気がします」と仰っていました。何でもいいのです。本でも映画でもテレビでも、自分が感動できるものがあれば、それって誰かと共有したくなるもの。日々感動を探しながら生きていれば、それを誰かに話したい、それを誰かと共有したい、誰かの話を聞きたい、と思うものです。そうすれば、自然と場は作られていくもの。「会を作りたい、作らなければ」と気負う必要もないのです。気負うと、疲れちゃうし、続かないですものね。
 
感動というと、なにかたいそうなものに心動かされることのように思ってしまいます。つまり、そんなにしょっちゅう感動することもないぞ、と。
でも、感動を探して生きているのと、なにも考えずに暮らしているのとでは、たとえ同じものを見ても(聞いても)、反応が違うと思うのです。なにかしらの驚きがあるか、なにも感じないか。
「つまらない」と言って生きていると、本当につまらない人生になってしまいそうです。
感動を探して生きる。その生き方自体、感動的です。
 
取材でお話させていただいて、とても楽貴重な時間を過ごさせていただきました。興奮の波に乗って、帰宅後、2時間の取材を文章に起こしてしまいました。
まだどのような形でHP上にアップするかは決まっていませんが、どうぞお楽しみに。

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コメント

「楽しいから笑うのではなく、笑うから楽しくなるのですよ」というお話を頂いたことがあります。自動車で通った時には気付かなかったのに、歩いて通ったときに、その道端に花が咲いているのを見て、そこに花が咲いていたことに気付いてうれしかったことがあります。自分のあり方は全て自分の気持ちが決めるのですね。そして、その気持ちは、ことばとなって現れるのですね。

感動っていいことですね

近くに「二上山」という山があります。頂上には悲劇の皇子「大津皇子」の墓があり、万葉集にも出てくる標高500m程度の山で、週1回程度登っています。
奈良県の大和平野・橿原神宮・当麻寺など展望できてすばらしい景色です。

この山に登るたびに感動があります。
1,300年ほど前の昔、無実の罪により20数歳でこの世を去った大津皇子
赤や黄色に染まりきれいに色づいた二上山
落葉して幹と枝だけになった木々、年中緑を茂らす木々
赤い花をつけ華やかな中にも何だか寂しさを感じさせるサザンカ
春は桜 小さな草花 等々 

同じ山ですが登るたびに、春夏秋冬 それぞれの景色、小鳥のさえずり、自然の移り変わり等、人間を超えた地球の営みか宇宙の営みか?何かを感じています。

感動というほどのものではありませんが、やっぱり 感動! 小さな幸せですね。

☆がくさんへ
「楽しいから笑うのではなく、笑うから楽しくなるのですよ」で思い出しました。
「幸せだから感謝するのではない。感謝しているから幸せなんだ」ということばがあります。私の好きなことばです。

☆GGRiderさんへ
「奈良県の大和平野・橿原神宮・当麻寺など展望できてすばらしい景色です」
素敵な景色ですね。
登るたびに景色も違い、いや、違うのは私のこころなのかな。見え方、感じ方が違うのは、私のこころの反映なのかも。
感動することができるのは、こころが動いているからなのかも。同じ調子をずっと保っていては、何も感じないかもしれないですね。良くも悪くも、こころの動きがあるということは、感動を呼び起こす種なのかもしれません。
 
ところで、「二上山」自身には、この人間界がどのように見えているのでしょうね

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