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2008年12月 2日 (火)

2008年12月のことば

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  えらばず きらわず みすてず
              竹中智秀
 
竹中智秀先生(1932~2006)は、阿弥陀如来の本願を「えらばず きらわず みすてず」ということばで教えてくださいました。衆生を、えらぶことなく、きらうことなく、みすてることなく救うという誓いです。
 
経典には、様々な形で浄土が描かれています。浄土のお話を聞いたときに、感動した話があります。
「浄土」とは、今、私たちが住んでいる世界だという話です。今、私たちが住んでいるこの世界が、この世界のままで浄土となるのです。
たとえば、自分が欲するものが足りないと愚痴を言うけれど、「ある」だけでも有り難いことです。数少ない食料・衣類を、足りない足りないと愚痴り続けるのか、足りなくても人に譲れるのか。
今の世界となにも変わらないけれど、「足りない」と愚痴るのか、「どうぞ」と譲り合えるのか。それだけのことで、今の世界が、地獄にもなるし、浄土にも成り得るのです。
「浄土」とは、死んでから往く世界でも、どこか遠くにある理想郷でも、お経の中だけの物語でもありません。「今」なのです。
そのおしえを聞いたとき、「えらび きらい みすてる」自分の姿を感じました。阿弥陀如来の浄土に生まれることが約束されているのに、自ら抜け出そうとしているようなものです。
 
阿弥陀如来は、生きとし生けるものすべてを救いたいと願い、「南無阿弥陀仏と念仏申す衆生を救おう」と誓いを立てられます。
さて、生きとし生けるものを救いたいと願いながら念仏申す衆生を救うとは、矛盾しているようにも、対象を限定しているようにも受け取られます。念仏申した衆生は浄土へ生まれることが約束され、念仏申さぬ衆生は救われないのか、と。
念仏申す衆生が生まれる「浄土」が「今」であるならば、私はすでに阿弥陀如来の浄土に生まれていると言えるのではないでしょうか。そう、すでに阿弥陀如来のすくいが、私の身に成就しているのです。
人として生まれ育ってきた私。いつのまにか、人として生まれたことが当たり前のことになってしまっています。なんの感慨も感動も感謝もないことでしょう。
阿弥陀如来の浄土であるこの地に、人としていのちをいただいた。私が今ここにいるということは、阿弥陀如来の願を受け、その願いが成就したからなのです。
「南無阿弥陀仏」と称える者のみを救おうと願われたのではない。すでに南無阿弥陀仏と称えていたから、生きとし生けるもの すべてが いのちをいただいている。
前世でお念仏称えていたからなどと言っているのではありません。すでに誰もが、阿弥陀如来のすくいの中を生きているということです。
阿弥陀如来が「念仏申す衆生を救おう」と誓われた。矛盾でも限定でもない。生きとし生けるものすべてが、念仏申す衆生であったということです。
 
竹中先生は、阿弥陀如来の本願、「えらばず きらわず みすてず」に触れた者は、「はじめに尊敬あり」の生活をしていくんだということを教えられました。この現実世界の中で、目の前にいる人、隣にいる人を尊敬することから生活ははじまるんですよ、と。
その教えをいただくと、自分の生き方が、人を選び、人を嫌い、人を見捨てていることを痛切に感じます。
そのような生き方しかできない私に竹中先生は「だからこそ」と言われます。厳しい現実の生活の中で、尊敬する気持ちなど芽生えない。仕方がないと諦めてしまうのではなく、「だからこそ」もう一歩踏み込んでほしい、と願われます。
「えらばず きらわず みすてず」、「はじめに尊敬あり」という生活に、浄土が開かれてきます。
「えらばず きらわず みすてず」の阿弥陀如来の慈悲に包まれ生きている私が、その温もりを知らないはずはありません。
  
  
竹中智秀先生は、京都にあります大谷専修学院の院長を長年務めてこられました。
ご紹介しましたとおり、弥陀の本願を「えらばず きらわず みすてず」という簡潔なことばで、しかし力強くお教えくださいました。私は学院には行ってないので、残念ながら先生のおしえを直にいただくご縁がありませんでした。
今回、ことばを掲示するに当たり、何人かの学院卒業生に話を聞いたところ、「竹中先生が教えてくださったことばだよ」と、口をそろえたように、楽しそうに話してくれました。先生に直接お会いしたこともない私ですが、お人柄が伝わってきました。
 
   
 
西蓮寺門前の掲示板に月替わりで人形を飾っています。
12月の人形は、木馬に乗ったサンタさんです(お寺なのになんで?なんて言わないでくださいね)。千歳烏山駅近くにある木のオモチャのお店「MUKU」で購入しました。かわいい木のオモチャがたくさんあります。お店の前を通るたびに、木のぬくもりを感じます。
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(事件は突然に)
12月1日、掲示板のことばを貼り替え、人形を置き換えました。
今日は暖かかったですね。暖かい日が射す昼過ぎ、掲示板をのぞいてビックリです。
上の写真で、サンタさんの両脇に置いてあるツリー(ロウソクでできています)が、トロトロにとけていたのです。
急いで人形を取り出し、掲示板の台をふきふき、人形についたロウをふきふき(というより削り取りました)。
昨年の12月にも同じロウツリーを飾っていたのですが、一ヶ月何事もありませんでした。それなのに、昨日半日でとけてしまうなんて…。
きれいになったところで、サンタさんだけを置いたら、なんとも淋しかったので、昨年の12月に飾ったネコとトリの人形を一緒に飾りました。とても賑やかになりました
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コメント

無いことを嘆くよりも、在ることに「有難さ」を感じて生きていけたら、きっと人生はもっともっと楽しいものになりますね。
これから私もそのように生きていきたいです。

☆がくさん はじめまして
コメントをありがとうございます。
「無いことを嘆くよりも、在ることに「有難さ」を感じて生きていけたら」
 
辻信一さんという方が、
「ないものねだり」ではなく「あるもの探し」をしようという呼びかけをされていて、
私の心に残っています。
 
「物」だけの話ではなく、「いのち」も「あるもの」のひとつですよね。
そういうことを考えるだけでも、生き方は変わってくると思っています。

昨夜は「白骨の会」に参加させていただき、ありがとうございました。取材を受けているということで初めは緊張していましたが、取材陣がまるで会のメンバーのようになってしまわれたので、取材されていることを忘れて楽しく過ごさせていただきました。

その後の忘年会のご準備と後片付け、ご苦労様でした。何もお手伝い出来ずに申し訳ありませんでした。

☆やすさんへ
白骨の会、ご参加ありがとうございます。
座談・忘年会と楽しかったですね。
たしかに、取材というよりも、新しいメンバーがおふたり加わってくださった感じで楽しかったですね。
ご無事に帰られましたでしょうか。
今年はまだ聞法会・チャリティコンサートとありますが、来年も白骨の会をよろしくお願いいたします。

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