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2008年11月27日 (木)

海の中に母がいる 母の中に海がある

今月1日に、掲示板のことばをアップしてから、しばらく更新していなかったので、その文章を何度も読まれた方もいるかと思います。
「人は波に似ている」という自身の気付きを表現しました。個人的世界観にドップリはまった文章だったので、伝わりずらかったかもしれませんね。でも、親鸞聖人のおしえに出遇い、今まで生きてきた私の出来うる限りの表現です。
 
「人は波に似ている」という想いと、もうひとつ、いや、もっと表現したかったことがあります。
前回アップした文章は「悪人正機」についてでした。
このふたつの文章は、呼応しています。
 
「善人でさえも往生できるのだから、悪人が往生できるということは言うまでもないことです」というおしえ…この「悪人正機」のおしえについて語ると、
“悪人”がすくわれるのはおかしい
“悪人”は誰だ、どういう人だ
“悪人”でもすくわれるなら、善い行いをする必要がなくなる
“悪人”でもすくわれるなら、悪事を尽くしたほうがいいではないか
などなど、いろいろなご意見をいただきます。
 
「悪人正機」にかぎらず、「念仏申す衆生をすくう」というおしえも、
それでは簡単すぎる
どんな人間でも念仏したらすくわれるというのはおかしい
自分とあんな奴(自分の嫌いな人)が同じすくいだなんて困る
などなど、いろいろなご意見をいただきます。
 
そのような声は正直な声です。
頑張ったら頑張った分の結果が欲しい。
自分より悪い奴と自分が同じ結果を得られるなんて納得できない。
そのように想うのが普通に出てくる想いです。

でも、哀しいのです。
せっかくおしえをいただくご縁に出遇えたのに、おしえを聞いて、この私自身が人を、生きとし生けるものを差別しているのですから。
おしえをいただいて、「善はこういう人だ、悪はこういう奴だ」「こういうものはすくわれて、こういうものはすくわれない」と、自分のものさしで図ってしまう。ものさしに合わない奴はどんどん排除。
 
すくわれるのは、生きとし生けるものすべて
そこは絶対に動かせないのです。
もし、頑張った結果ですくいの結果が変わるのなら、それは、私たちが苦しんでいる世界となんら変わりありません。
善だとか悪だとか、すくわれるものだとかすくわれないものだとか分け隔てするけれど(自分を良い方に置くけれど)、私自身が善でもあり悪でもある。すくわれないほどのものであるのに、すくわれる。
人間の理知で考えたらすくわれるはずのないものがすくわれる。だからこそ、すくいのはたらきを「不思議」と表現されてきた(ビックリ驚くという意味での「不思議」ではありません。人間の理知を超えているという意味です)。
 
 
「人は波に似ている」
「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」   
呼応しているといったのは、生きとし生けるものは、すべて母なる海から生まれ、海に帰るものであるということを感じたから。
海から波として生まれたいのちが、またもとの海にかえっていく。誰もがみな。
そのようないのちが、今、たまたま私として表出している。

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コメント

>すくわれるのは、生きとし生けるものすべて
>そこは絶対に動かせないのです。

自分は仏教徒ではないですが、この感覚は非常によくわかります。
人が人に罰を与える法システムが、現世での対処をすればそれで良いのではないでしょうか。

☆Ryuichiroさんへ
コメントありがとうございます。
人が人を裁く…とても難しいことだと、私は常々感じています。
裁判員制度…どうなっていくのでしょうね。

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