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2008年8月 4日 (月)

足あと

暑い日が続きますね。いかがお過ごしですか。
毎月1日に西蓮寺寺報「ことば こころのはな」を発行しています(毎月1日にアップしている文章は、寺報の文章です)。
毎月発行している寺報が今月で120号を迎えました。
ということは、丸10年経ったということですね。早いものです。
始めるときは、「書けなかったら止めればいいじゃないか」という気持ちで始めました。「続けなければいけない」という気持ちだと、なかなか寺報発行に踏み出せないものです。
そうはいっても、始めた責任はあります。第3号の寺報を作っているときに、「とんでもないことを始めてしまった。これからどうすればいいんだろう」と真剣に悩みました。恐怖心にも近かったかな。
 
はじめの頃は、お寺参りに見える方に渡す程度でした。坊さん仲間に渡したり、公に配るなんて、恥ずかしくて出来ませんでした。お寺の聞法会に見える方にさえも渡せなかったです。
 
何年か経ってからやっと、坊さん仲間に渡したり、法話を聞きに行った際、そこで知り合った方に渡すことが出来るようになりました。それでも、渡すのにかなり勇気がいりました。
 
西蓮寺は、寺の前にバス停があります。バス停で待っている人が、自由に持っていけるようにしようと思って、西蓮寺山門横の掲示板に、寺報を自由に持っていけるように置くようになりました。
すると、思っていたよりもたくさんの方が持っていってくださるので驚きました(破かれたり、クシャクシャにされたりすることもありますが)。
・感想を言うために、寺まで訪ねて来てくださった方。
・坊守と同郷(長崎)で、話してみたら、実は実家が近所だった方。
・私が掲示板に置く前に、取りに来てくださる方。
・文章を読んで、私の心身の具合を察してくださる方。
・寺報を見て、遠くから聞法会に足を運んでくださる方。
・あるときの文章に励まされましたと、会うたびに声をかけてくださる方。
いろいろな人との出会いがあって、うれしいです。私の方こそ励まされます。寺報を始めてよかったなと思います。
 
長いようで、あっという間の10年でした。
人に仏教を教えるため、伝えるために書くのではありません。そんな思い上がったこと、できません。
ことばに出遇い、私はこのようにいただきました。ただその想いを書き続けてきただけです。
書く場、自分を表現できる場があることは、とてもありがたいことだと思います。
 
自己表現を出来ずに苦しんでいる人が増えているように感じます。
私も、寺報やブログによって自己表現をしていなかったら、どうなっていたか、なにをしでかしていたか分かりません。
方法はなんでもかまわないから、自分の想いを語る場に出遇ってほしい。
ブログのように誰かに見せなくても、手書きの日記でもいいのです。自分の想いを表に出すことで、自分でも「こんなこと考えていたんだ!!」という発見があるものです。書いているうちに、怒りや悩みが落ち着くこともあります。「たいしたことなかったな」って、思えるときもあります。

一歩立ち止まる。
文章を書くって、そういう時間を与えられているのかもしれません。
 
10年間、ありがとうございます。
まだ続くと思います。一歩一歩立ち止まるために。
よろしくお付き合いください。

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コメント

十周年おめでとう御座います。
私はそのほんの数年を共有することが出来ました。
この数ヶ月、寺報が私をどれだけ励ましてくれたことか。どれだけ考えるキッカケをくれたことか。
電子化が進む今日だからこそ、紙ベースの伝達の強さを痛感しております。

どうぞ、これからも聞法の場が広がることを願っております。

☆たかさんへ
たかさんとの出遇いも、きっかけはブログでしたが、その元は紙の寺報。
人生の共有者がいて、心強いです。これからもよろしくお願い致します。

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