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2008年8月19日 (火)

わたしには、わたしという役割がアリます

境内の掃除をしていたら、三匹のアリが、自分たちの何倍も多きなイモ虫を運んでいました。
巣が近づくにつれて仲間のアリたちが寄ってきて、イモ虫の周りが真っ黒になるくらい大勢のアリが、巣まで運んでいきました。
それぞれのアリを観察していると、一生懸命運ぶアリ。手伝っているんだけど、みんなと違う方向に引っ張るアリ。近くまで来るものの、加勢しないアリ。まったく我関せずといったアリ。いろいろな個性があります。
 
聞いた話では、アリは「8:2」の比率で、「はたらくアリとはたらかないアリ」とがいるそうです。
(読む資料によって、この比率はいろいろです。「7:3」と書いたものや、「7:2:1」で、「よくはたらくアリ:まぁまぁはたらくアリ:はたらかないアリ」なんて細かく書いてあるものもありました)
 
これからが面白い話なのですが、「8:2」のアリの中から、「はたらかないアリ」を取り除く実験をしたそうなのです。どのような結果が出たと思いますか?
はたらかないアリを取り除いたのだから、みんなはたらくアリばかりになるだろうと思ったら、ちゃんと2割の比で、はたらかないアリになったそうです。
私は、この話を聞いたときに感動しました。生き物にはちゃんと役割があるんだなぁと思ったのです。人間の世界では、はたらけることがいいことで、はたらけないことはいけないことと、思われています。
だから、「あいつらは役にたたない」なんて、理由にもならない理由でホームレスと呼ばれる方々が襲撃を受け、時には殺されてしまったりします。
病気や老齢で、はたらけなくなったり、寝たきりになったときに、周りの人間はその人のことを迷惑だと思ったり、本人は自分の存在を否定してしまいます。
「8:2」の、「8」でなければいけないという思いが、いつの間にか誰にも植えつけられているのではないでしょうか。「8」には「8」の、「2」には「2」の役目があるのです。
 
なぜか今でも、自分の出身小学校の校報が毎月届くのですが、その校報の校長先生のコラムにも、このアリの例えが書いてありました。
ただ、「人間はアリとは違うのだから、キチンと目標を持って、努力することが大事です」って書いてあったんですね。たしかに、学校の先生はそのように言わなければいけないでしょうね。「“2”でいいんだよ」なんて、言えないのでしょう。いや、そんなこと思ってもないかな。(すいません、校長先生のコラムを否定しているわけではないんです。ただ、そうかな?って思ったのです)
「2」も大事な役目なのです。その「2」を取り除く教育を、学校でも職場でも、もしかしたら家庭でもしているのではないでしょうか。
  
私は、アリの話を初めて聞いたとき、人間もアリも同じだなぁって思ったのです。
「8:2」がなんの比率であっても、「はたらき者:はたらかない者」、「善:悪」、「社会の規律を守る者:守らない者」・・・「2」を取り除けば人間世界ははたらき者ばかりで、善人ばかりで、規律を守る者ばかりになるかといったら、やっぱり「8:2」の比率に戻ってしまう。それは、「2」にも役割があり、必要だからなのだと思うのです。
はたらき者ばかりで、善人ばかりで、規律を守る者ばかりの世の中は暮らしやすいだろうなと思っていたら、きっと人間社会が動いていかなくなると思います。きっと、窮屈なことでしょう。きっと、今よりも争いが増えることでしょう。
 
人には、その場、その環境において、今のわたしという役割があるのです。
悪を廃して善ばかりにしようと思っても、それは叶わないことなのです。
あきらめ主義的に言っているのではありません。そこにいのちの意味・輝きがある。アリの姿を見て、おしえていただきました。

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コメント

このところ「虫」づいていますね。蝉というと「論註」の中の「「蟪蛄は春秋を識らず」といふがごとし。この虫あに朱陽の節を知らんや。知るものこれをいふのみ。」との釈文を思い出します。これは迷いの人間を蝉に喩えていますが、罪は人間にあって、蝉にあるのではありませんネ。(笑

蟻のお話は聞いて安心しました。私は十分の一しかいない「はたらかない蟻」ですから、それでも役割があると言われるとホッとします。

☆やすさんへ
「十分の一」…貴重じゃないですか!!
人はみな、私という役を演じているのだと思います。生涯をかけて。
 
「蟪蛄は春秋を識らず」
いろいろなことを知りたいなと思っても、私が知りうることは極わずか。たくさんの人との出会いを通して、知らないことを補い合っていくのでしょうね。

どうも師匠

いいタイトルでアリんすね

はたらき者:はたらかない者
とを二つに分けて

はたらかない者を
取り除いていっても

その見方をしている限り
最後の一人になるまで

キリがないということですかね?

う~ん
私は

はたらきたくない者ですが
それってアリですかね?

☆ナカノブティフさんへ
コメント アリがとう(アチャ
あなたのブログも拝見してます。
食べ過ぎに注意ですよ
 
このアリの話を聞いたとき、
はたらき者とはたらかない者の見分けは、どの程度のことでしているのだろう?
と、先ず初めに思いました。
 
「その見方をしている限り」
うん、素晴らしい着眼点ですね。
見ているこちらのものさしですね。
すると、どんなにはたらいていても、はたらいてないと言ってしまえば、はたらいてないことになってしまう。
多少さぼっていても、まぁこれくらいならと見逃せば、はたらいている方に入ってしまう。
こちらの見方の問題も提示されますね。
(もちろん、実験は厳密で、そんな問題提示までする意図はなかったことでしょうけど)。
 
「はたらきたくない者ですが
それってアリですかね?」
お嫁さんに聞いてください

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