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2008年7月

2008年7月21日 (月)

アール・ブリュット展

7月19日(土)「白骨の会」(西蓮寺仏教青年会)で、アール・ブリュット展を見に行きました。
 
アール・ブリュットとは、

アール・ブリュット<生の芸術>(またはアウトサイダー・アート)と称される作品たちは、正規の美術教育を受けていない人たちによって、文化潮流や伝統、また流行などとは無縁に制作されています。作り手本人のやむにやまれぬ思いにのみ司られ、作られているのです。それゆえ作品は、人が人として存在する上で根源的に持っている「表現したい衝動」というものの底流を、ありありと伝えて来ます。
(松下電工汐留ミュージアムのサイトより引用)

 
展示会場に納められている作品の数々。会場に一歩足を踏み入れた瞬間、まるで別世界に来ているかのようなエネルギーを感じました。
 
人は、同じものを見ていても、その見え方は人それぞれ。
私がサラッと受け流してしまうものであっても、それが輝いて見える人もいる。
見え方も、価値観も、人それぞれ。人の数だけ感じ方がある。
それにしても、作品をつくった方々の、その感性はどこから湧いてくるのだろう。
なにを見ても無感動、なにがあっても無関心、死んだような目をしていると表現される現代日本人にとって、このようなものの見え方がしたら、人生が一変することでしょう。
しかし、作品を作る彼らは、まさに命がけ。寝食を忘れて作品作りに没頭するという。あふれんばかりのエネルギーを感じたはずです。
 
一緒に展示会を見に行った方が言いました。
「私たちは最初に完成図を思い浮かべてしまいます。そして、使用するキャンバスに納まるように構図を考えます。枠の中に自分が感じたものを納めようようと考えるのです。でも彼らは、キャンバスの大きさなんて考えずに、先ず描き始めます。描いて描いて、キャンバスからはみ出したら、継ぎ足す。枠がないのです。スケールが大きいのです」
 
人生というキャンバス…自分で勝手に枠を決めてしまって、それに納まるように、小さく生きてはないだろうか。はみ出したときは、もっと大きなものを継ぎ足せばいい。もしキャンバスが広いと感じるならば、その中で自分を表現すればいい。
 
作品を作られた方のエネルギーが大きいだけに、見る方もエネルギーを必要としました。でも、心地よい疲れでした。行ってよかったです。
残念ながら、7月20日が展示最終日なので、もう終わってます。
常設の美術館(「ボーダレス・アートミュージアムNO-MA」)がありますので、興味を持たれた方は、ぜひお尋ねください。私も、機会があったら行きたいと思います。

2008年7月 9日 (水)

宿業・・・

7月9日(水)西蓮寺聞法会でした。
本山出版部から出ている「真宗の生活」をテキストに話をさせていただいています。
7月の題は、「宿業のかがやき」
 
宿業…分かっているようで、全然分かってないこと。
付け焼刃の勉強で話すよりも、参加された方々に「宿業」について聞いてみました。
「宿業」って言葉、今、使いますか? 使うとしたら、どのような使い方をされますか?
当ブログをお読みのあなたも、「宿業」って言葉、今、使いますか? 使うとしたら、どのような使い方をされますか?
  
大まかに分けて、次のような応えをいただきました。
「運命」
「今、いただいている身の事実」
  
やはり、運命論・宿命論・刹那主義・あきらめ主義的に受け止めている方が多かったです。事実、そのように解釈されているだろうなってことは、予想していました。
 
宿命・・・運命論・宿命論・刹那主義・あきらめ主義ではないことを、お伝えしたく思います。
 
負の歴史についてお話します。
中村久子さんという方がいらっしゃいました。幼い頃の病気のため、両手両足をなくされた方です。そのお母さんが厳しい(けど、本当にお子さんのことを思っている)方で、自分で裁縫ができるまでに、育てられました。
生活に困らないように、厳しく育てられた中村さんですが、やはり不自由は感じます。どうしてこのような身になったのか、悩み、恨み、苦しまれました。
そんな中村さんに、真宗の僧侶が、「あなたが今、そのような姿になったのは、前世の行いによるのです。ですから、今、そのことを悩んでも仕方ありません。それよりも、次の世に、素晴らしい生まれを果たすために、今は現実を受け止め、南無阿弥陀仏と念仏申しなさい」と説教をされました。
特定の僧侶の話ではありません。今現に苦しんでいる人々に、それは前世の行いが悪かったためで、今更どうしようもありません。それならば、現実から逃げようとせずに、現実を受け止め、来世のために念仏申しましょう」という布教をされていた時代があったという話です。
 
過去世や来世があるのか、そんなことは誰も知りません。誰も覚えてないし、誰も知らないのですから。そういうことよりも、今の私の身の事実をしっかりと受け止めて欲しい。真宗の教えの醍醐味だと思います。
 
ここからの話に迷いました。
だって、「来世のために念仏しなさい」と説教するのと、「今の私の身の事実をしっかり受け止めて欲しい」という願いを語ることと、まるで違うのですが、とても同じにも聞こえてしまうのです。
「今の私の身の事実をしっかり受け止めて欲しい」ということを伝えたくて、ことばにならないことばでお話させていただきました。
 
過去世とか来世とかいうと、今の自分と分断されてしまうと思うのです。見る人が見ると、過去世と現世と来世ってつながっているのかもしれません。でも、それでは刹那主義・あきらめ主義、責任転嫁、もっと言うと投げやりな気持ちに陥ってしまうのです。
「宿業」について、「縁」ということでお話させていただきました。今の私は、父と母の縁をいただいて生まれ、生きているわけです。その父母にも、それぞれ父母がいて、更にその父母にも父母がいて・・・・・・だれひとり欠けたとしても、今の私は生まれ得ません。
今の私の境遇・思想・交友関係も、自分の力で築いたものではありません。生まれてから今までに出会った人々との縁によるのです。
そういう意味では、過去から連綿と続き、更に未来へと続いていく歴史の中を、今、私は生きているわけです。「今の私の身の事実」は、そうした縁によって成り立っています。
「宿業」とは、「縁」を生きる(生かされている)私の姿を表わしたことばだと思います。
 
と、お話させていただきました。私の偽らざる気持ちです。
でも、それでも、過去世・現世・来世を持ち出して説明する「宿業観」とどう違うのさ?なんて問われたら、ことばもありません。
 
今月の掲示板のことば・・・
 災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。
 死ぬ時節には死ぬがよく候。
 これはこれ災難をのがるる妙法にて候。
 
このことばも、災難に逢うとき、死ぬときというのは、「宿業」です。
でも、それは前世の行い云々ではなくて、「今を生きる私の身に起こる事実」なのです。
けっして、前世への責任転嫁でも、あきらめさせるためでもなく、否定し得ない現実なのです。

「前世の行いが悪かったため・・・」と説教する僧侶に対し、中村久子さんは、「先ずはあなた自身が手足をなくしてから、そういうことをおっしゃい」と、言いました。そして、「現代のように、血の通わない仏教にしてしまったのは、そういう布教が正しいと思って僧侶が語るからです」と、訴えてくださっています。
「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候」ということばも、聞く人によっては、中村さんと同じことを思われると思うのです。「先ずはあなたが災難に遭ってから、そういうことは言いなさい」って。
でも、そのことばを書かれた良寛さんも、このことばって大事だな、ひとりでも多くの人に知ってもらいたいなって思った私の気持ちも、諦めの気持ちはまったくないのです。今の私の姿から、これからの人生はスタートするのです。そのことを忘れないで欲しい。たとえどんなにつらくても。
 
今、つらい想いをされている方がいる。その想いは、結局は本人にしか分からない。ということは、その人だからこそ味わえる。その人だからこそ、託された現実だと思うのです。他の誰でもない、この私に…今の現実をいただいた。
そのことを人生の芯に、核に、持っていて欲しい。そういうことをお話させていただきました。
とは言ってみたものの、やっぱり難しい。「そのことを人生の芯に、核に、持っていて欲しい」ということばも、聞く人によっては運命論にも受け取られるだろうし、聞く人によっては、「身の事実」と受け止められるだろうし。
  
「宿業」ということを、曽我量深師は「本能」と、金子大榮師は「個性」と、安田理深師は「本願」と感得されました。ことばは違うけれど、みんな同じことを言っているのだと思います。
この身だからこそ、阿弥陀如来の慈悲が私に届いている、と。
 
      
 
話が終わって、参加されていた門徒さんがおっしゃってくださいました。
 
今日読んだところの題、「宿業のかがやき」だったでしょ。「宿業」が「かがやき」って、とても希望が持てます。あぁ、かがやいているんだなぁって、感じました。
 
そのことばをお聞きして、今日話そうとしたことは、それに尽きるなぁって思いました。ありがとうございます。
今、わたしのいのちはかがやいている。
そうですね、かがやいているんです。とっても。みんな、みんな。

2008年7月 4日 (金)

東京五組同朋大会 兼 親鸞聖人750回御遠忌お待ち受け法要

「東京五組同朋大会 兼 親鸞聖人750回御遠忌お待ち受け法要」の様子です。
6月中、ブログに宣伝記事をずっと載せておいて、報告をしていませんでしたね。遅くなりました。
 
   
  
2008年6月14日(土)、烏山 存明寺様を会場に東京五組同朋大会が開催されました。
宗祖親鸞聖人の750回御遠忌を2011年にお迎えします。御遠忌に向けての第一歩を踏み出そうという想いで、「お待ち受け法要」を厳修しました。当日は快晴に恵まれ、200名近くの同朋が集まりました。
   
【同朋大会実行委員長 存明寺 酒井義一住職 挨拶】
この同朋大会を、親鸞聖人は確かに生きているなぁと、求め続ける第一歩にしたいと思います。みなさん全員参加で、この法要を作り上げていきたいと思います。よろしくお願い致します。
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【第1部 上田 紀行先生講演】
講題「がんばれ仏教! 日本社会の再生のために」
 
○日本は経済的不況じゃない、生きる意味の不況なんです。
絶望的な孤独感。神様や仏様がいるという感覚があれば、人間、決してひとりぼっちじゃないんです。大変な苦しみ・不幸の中にこそ、仏さまに会えるきっかけがあるのではないか。大変な苦しみ・不幸の中にこそ、我々が生きることの意味が隠されているのではないでしょうか。
  
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○ダライ・ラマ法王と対談させていただきました。つらい境遇に置かれているのに、人を温かくするお顔をしていらっしゃるので、どうしてそんな笑顔でいられるのか尋ねました。
「私は今、大きな種を蒔いている自覚があります。チベットに帰ることや、チベットの独立は、私が生きているうちに果たせないかもしれない。しかし、平和が大切であり、慈悲が大切だということを説き続けています。困っている人をなんとかしたいと行動していれば、たとえ評価は得られなくても、私は生き甲斐を感じています。人間というのは、そうやって常に種を蒔いている存在なのです。過去に蒔いていた人がいるから、今につながり、今種を蒔いているからこそ、後の世につながるのです」
このように言われて、大きな衝撃を受けました。いのちのかけがえのなさを見失い、格差の中で生きている私たち。たとえ評価されることはなくても、種を蒔き続けたい。親鸞聖人の御遠忌をお迎えする750年の歩みとは、種を蒔き続けてきた歩みではないかと思うのです。今、私に至るまで種を蒔いてこられた方のご恩に感謝するとともに、これからの日本のために種を蒔き続けていこうという決心が、御遠忌を迎えるという志につながるのではないでしょうか。
(副住職ノートより)
   
   
【第2部 御遠忌お待ち受け法要】
30名程の僧侶による法要が勤まりました。この日に備え、3回の稽古を積んできました。
声明には響きがあります。おしえの ことばが身に沁み込んできます。
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【第3部 落語 瀧川 鯉昇師匠】
演目「ちりとてちん」
落語は、お坊さんの説法から派生したものだと言われています。落語も法話も法要も、やはりライブが一番です。瀧川師匠、懇親会にもお付き合いいただきまして、ありがとうございます。
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【私(同朋大会事務局長)の雑感】
早川義章住職(東京五組組長)が本年1月26日に還浄され、こころに穴が空いたようでした。気持ちのやり場に困りました。しかし、同朋大会の賑やかな雰囲気の中、そこには早川住職も、そして親鸞聖人も確かにいました。早川住職が蒔いていった種が、大輪の花を咲かせました。おしえが繋ぐ絆を、痛いほどに感じました。これからは私たちが種を蒔く番です。
事務局の悲しさで、大会を作り上げておきながら、本堂でゆっくりと会を味わうことはできませんでしたが、人が集まってワイワイするのって、いいなって感じました。
  
上田先生と瀧川師匠の組み合わせ、まったく何も考えずに、おふたりにお願いすることになりました。
ところが、大会当日になって、いろいろなご縁の重なりが発覚しました。
上田先生と落語家の春風亭小朝師匠は、いとこどうしだそうです。そして、瀧川師匠は元々春風亭一門に弟子入りされていたのですが、弟子入りしたときの兄弟子が小朝師匠だったそうです。小朝師匠に初めて稽古をつけてもらったときのネタを、懇親会で披露してくださいました。
それから、瀧川師匠が駆け出しの頃、お世話になっていた住職がいたそうです。その住職こそ、同朋大会の会場、存明寺の前住職、酒井現住職のお父さんです。「タイちゃん タイちゃん」とみんなが呼んでいるから、「ずっとタイなんとかさんというお名前だと思っていました」そうで、同朋大会の会場が存明寺と聞いても、酒井住職と聞いても、まったく分からなかったそうですが、お寺に来てみて分かったそうです。昔話も聞かせていただきました。
それから、上田先生は幼少の頃、久我山に住んでいて、存明寺の前も通ったことがあると、おっしゃっていました。
人と人とは、どこかでつながっているものだなぁと、あらためて感じました。
大切な場となった同朋大会でした。ご参加くださった皆様、お手伝いくださった皆様、ありがとうございます。
御遠忌に向けて、御遠忌が終わってからも、場を大切にしていきたいと思います。また次の場で、お会いしましょう。

2008年7月 1日 (火)

2008年7月のことば

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災難に逢う時節には災難に逢うがよく候
死ぬ時節には死ぬがよく候
これはこれ災難をのがるる妙法にて候

                     良寛
 
ミャンマーサイクロン被害、中国四川省大地震、岩手・宮城内陸地震と、災害が続いています。被害に遭われました方々に対し、お見舞い申し上げます。
災害だけでなく、思いもしないような様々な事件も起こっています。
今月のことばは、被害にあわれた方にとって受け入れ難いことばかもしれません。このことばを掲示することによって、不快な思いをされた方には、申し訳のないことです。
しかし、どうして我が身につらいことが起こるのかを考えたとき、良寛さんの、このことばが思い起こされるのです。

 災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。
 死ぬ時節には死ぬがよく候。
 これはこれ災難をのがるる妙法にて候。

 
「災難に逢うときには、逢えばいいのです。死ぬときには、死ねばいいのです。これが災難を逃れる優れた方法です」
衝撃的なことばですが、「あう」を「逢う」と書いているところに大きな意味があると感じています。
災難に「あう」という場合、たいてい「遭う」と書きます。好ましくない出来事に「あう」という意味です。しかし、愛しい人に「あう」という意味を持つ「逢う」を良寛さんは書かれているのです。
災難や死。私の身に起きて欲しくない出来事を「逢う」と表現する。まるで人生において大切な出来事のように。どうしてそのように表現できるのでしょう。
「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候」は、良寛さんのお手紙です。三条大地震(1828年11月12日)にあった友人に送ったお見舞いの手紙です。お見舞いの手紙ですが、良寛さん自身も、同じ地震の被災者なのです。決して他人事としてのことばではありません。
ふたつの詩を紹介致します。

 雨の日には雨の中を
 風の日には風の中を

         相田 みつを
 
 くだり坂には
  またくだり坂の
   風光がある

         榎本 栄一
 
雨・風・くだり坂…これらは逆境を表わしていることばだと思います。
雨や風の中にいるときは晴れの日を夢見て、くだり坂を歩いているときは平坦な道を待ち望むものです。しかし、望みが叶ったときに、雨や風やくだり坂の苦労を忘れてしまっては、たとえ晴れの中にいても、たとえ快適な道を歩いていても、出てくるのは愚痴ばかりです。そんな生き方をしているのが、私の現実ではないでしょうか。
ご紹介した詩は、どのような人が書いたと思われますか? それは、逆境を生きている人です。逆境を生きている人のこころの奥底から生み出されてくるのだと思います。決して、逆境から何とか抜け出せて、ホッとしたときに書いたのではありません。逆境を自分の生きる場所として生き続けたのです。雨の中・風の中・くだり坂、そこに私が生きるべき場を見出されたのです。「逢う」ことが出来たのです。
嬉しくて楽しいことこそ記憶に残ってほしいけど、人生において眼に焼きつき、こころに刻まれることは、どうしようもなくつらい出来事ばかりです。不思議ですね。幸せや平穏無事な生活を望みながらも、生きている事実を実感できるのは、雨風の中を生きているときなのですから。

法然上人・親鸞聖人は「自然法爾(じねんほうに)」ということばを大切にされています。
「自然法爾」とは、「人のはからいを超えて、そうなるようになっている」とでも訳せましょうか。私のはからいを越えた中を、今、私は生きているのです。自分で判断し、選び、行動しているつもりでいるけれど、実はそうなるように生きているのです。さまざまな縁の交錯する中を生かされているのです。「自然法爾」とは、身の事実を照らしていることばです。
「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候」や「自然法爾」に、人を生かす力を感じるのです。ジタバタする私に、私自身をを見つめる眼を与えています。
「あなたが生きるべきはいつの世でもない。あなたが向かうべきはどこでもない。
今、あなたが立っている、ここですよ」
雨風の中を生きられた方々の呼び声が、私にまで伝わっています。
 
  ☆ ☆ ☆
 
西蓮寺門前の掲示板に、月替わりで人形を飾っています。7月の人形は、キュウリを抱えたカッパと、ナスを抱えたネコです。
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