2008年6月のことば
苦悩を抱えている
その一点で人間は尊い
佐野明弘
寺の山門の前が泥で汚れていたので、ブラシ掛けをしました。水をまいてブラシ掛けをすると、泥は水に溶けて流れます。しかし、きれいに流しきらないと、泥汚れはかえって広がってしまいます。
きれいなところに汚れが付くと、汚れの方が勝ってしまいます。きれいだったところも、あっという間に汚れてしまいます。
キチンとした生活をしていても、手を抜くことを覚えると、すぐに怠惰な生活になってしまいます。
約束事を守ってきたのに、ちょっとくらい守らなくてもかまわないという気持ちが芽生えると、すぐにいい加減になってしまいます。
そんなことを考えていて、親鸞聖人の ご和讃(曇鸞和讃)を思い出しました。
名号(みょうごう)不思議の海水(かいしい)は
逆謗(ぎゃくほう)の屍骸(しがい)もとどまらず
衆悪(しゅあく)の万川(ばんせん)帰しぬれば
功徳のうしほに一味(いちみ)なり
尽十方無碍光(じんじっぽうむげこう)の
大悲大願(だいひだいがん)の海水に
煩悩の衆流(しゅりゅう)帰しぬれば
智慧のうしほに一味なり
「川の水がたとえどんなに濁っていても、海に流れ込めば、川の水も清浄になります。そのように、衆生の濁ったこころも、阿弥陀如来の大海のような慈悲のこころに優しく包まれます」
川がどんなに濁っていても、海に流れ込めば清浄な水となるはずなのに、現代では、川だけでなく、海をも汚してしまっています。そんな時代の衆生の濁ったこころでさえも、弥陀の慈悲のこころは、人間を摂(おさ)め取って捨てません。
実際は、汚れたものがキレイになるわけではありません。汚れたものが汚れたままに、清浄な水に溶け込んでいくのです。受け容れられているのです。
☆ ☆ ☆
人間の汚れとは、どこから来ているのでしょうか?
人間の有り様を嘆く声は、日々大きくなっていきます。自己中心・マナー違反・傍若無人な振る舞いは、まさに濁った人間の姿です。
しかし、それが人間の汚れだとすると、自分を抜いて考えてしまいます。「私は、そんなにひどい人間ではない」「あいつはひどい奴だ」と。
「苦悩」とはなんでしょうか?
「苦悩」というと、私たち個々が日常抱えている悩みのことだと思ってしまいます。
しかし、「苦悩」について、もう一歩踏み込んで考えてみたいのです。「苦悩」が、個々に抱える悩みを指すのならば、「苦悩」を抱えない人は苦しまないし、抱えた人だけが苦しむことになってしまいます。同じ「苦悩」を持つ者どうしでしか通じ合えなくなります。いや、同じ「苦悩」を抱えていても、なかなか通じ合えないものです。
弥陀の慈悲のこころは、あらゆるものを摂めとって捨てません。
「あなたは海にお入りなさい」
「あなたは入ってはいけません」
と、取捨選択しないのです。生きとし生けるものすべてが対象なのです。
私たちが考えるような「濁った人間」や「苦悩」は、分別が生じます。自分を善き者とし、他者を貶めてもしまいます。
「苦悩」とは、普遍性があり、かつ持続性があるもの。つまり四苦(生老病死)。
誰もが、生きている限り抱き続ける「苦悩 (四苦)」がある故に、人間は悩み苦しみ、濁りゆく。そこに、尊さがある。
苦悩を抱えている
その一点で人間は尊い
「尊い」とは、人間が、人間の目で見て、人間が尊いのではありません。阿弥陀の目で見て、人間が尊いのです。だからこそ、摂めとって捨てないのです。
☆ ☆ ☆
西蓮寺門前の掲示板に、月替わりで人形を飾っています。
6月の人形は、カエルと金魚と朝顔です。
今年は雨がよく降りますね。みんな喜んでいます。
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こんばんは、カツ様
まずは、いつもありがとうございます。
拙い愚考ですが、
阿弥陀様に育まれている事や、命に生かされている事に気づくこと そこからも、苦悩の普遍性、
あるいは、苦悩に気づき、苦悩から、きづかされる導きがあるのだと思います。
浅学な身ですが、教え受ける機会有難うございます。
投稿: tanuki | 2008年6月17日 (火) 04:12
☆tanukiさんへ
諸先輩方から、「人生に無駄なことはなにもない」と教えていただいてきました。
そのようなことばが生まれるということは、
苦悩から何らかの導きを、はたらきを感じたから。
私に先立って、無駄なことはないと言い切れる歩みをしてきた方がいる。その足跡を、今たどっている。
その道を、ただひたすらに生きる。です。
投稿: かつ | 2008年6月18日 (水) 19:30
五組同朋大会の後、寂しく(?笑)暮らしています。来月の聞法会が待ち遠しいです。T先生の講録はいかがでしょうか? 別の一冊をもうすぐ読み終わりますが、こちらは感動します。このギャップは一体何なのか? と感じています。
投稿: やす | 2008年6月25日 (水) 22:44
☆やすさんへ
同朋大会にご参加いただき、ありがとうございます。
ホッとする間もなく、次のこと、次のことと考えています。考えてはいますが、行動が伴わなくて。ブログのアップも滞ってしまいました。考えていること、やろうとしていることは沢山あるのですが…。
T先生の本を読まれて、やはりギャップを感じられましたか。私も、なんとなく感じていました。
自分自身の受け止めを話していたものと、自分の意に合わせたものとの違いでしょうか。
聞法会でお会いしましょう。お待ちしています。
投稿: かつ | 2008年6月26日 (木) 00:15