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2008年5月27日 (火)

ご葬儀について考えてみました①

今日、久しぶりに葬儀社さんとやりあった。
通夜葬儀の会葬御礼に付いている「清め塩」について。
清め塩を使用するということは、身を清めようとするということ。なにから清めるのか。それは穢れから。
では、なにが穢れなのか。亡き人か、それとも葬儀の場なのか。いづれにせよ、最後のお別れに駆けつけるほど大切な人や、別れの場を、穢れとしていることになります(意識的にしろ、無意識にしろ)。
浄土真宗では、亡き人を穢れとはみません。亡き人は、いのちあるものがいつか迎えなければならない死という姿を、我が身をもって示してくださっている師です。師が穢れなわけはなく、塩を用いる必要もないわけです。どれくらい前からかは分かりませんが、葬儀の際、塩を用いない活動をしてきました。そのひとつとして、真宗大谷派東京教区では、リーフレットを作りました。
 
葬儀社さんには、会葬御礼に塩を入れないようにお願いしています。その代わりに、なぜ塩を用いないのかを書いたリーフレットを入れてもらっています。
葬儀社さんは、たしかにお願いしたとおり塩を入れずに、リーフレットを入れてくれました。でも、「ご自由にお持ちください」という形で、塩が置いてありました。
 
(私)「これじゃ意味ないよ」
(葬)「しかし、浄土真宗以外の檀家の方もお通夜にみえるわけですから、塩を用意しないわけにはいかないんです」
(私)「どうしてもお塩を使いたい人は、家に帰って、自分の家のお塩を使えばいいんじゃない?」
(葬)「塩が無いってクレームが来るんです。私どもとしては、クレームがくるのを分かっていて、お塩を用意しないわけにはいかないんです」
(私)「でも、最近、浄土真宗以外でも塩を使わない動きが出てますよ」
(葬)「私が知る限り、そんなことはありません」
(私)「そんなに亡くなられた方を穢れにしたいんですか」
(葬)「とにかく、塩は置かせていただきます」 

結局私が折れた。
あの「ご自由にお持ちください」の塩を持ち帰り、穢れを清めるつもりで身にかける人がいるのかもしれない。
そう思うと、亡くなられた方に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
  
葬儀社さんというか、サービス業の方が、クレームが来ないように気を遣わなければならないのは、よくわかります。だから葬儀社さんが塩にこだわるのも理解はできるし、こちらも「おしえ」を盾に自己主張だけしてもいけないのは分かっているつもりです。
でも、「塩が入ってない」というクレームが来ないように気を遣うのは、なんか違うなって思います。
葬儀社さん自身に粗相があったり、態度・対応が悪かったりしてクレームが来ることは仕方がありません。そういうクレームをいただかないように努めることが大切です。でも、真宗の葬儀を勤めているわけだから、塩がなくて当たり前なわけです。それに対して「塩がない」というのは、クレーマーの側の過度な要求なわけで、そのクレームが来ないように塩を用意するというのは、気の遣い方が違うのではないかと思いました。
「失礼致しました。会葬御礼に付いてますリーフレットをお読みください」と言うだけではダメなのでしょうか。

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