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2008年5月29日 (木)

ご葬儀について考えてみました③

「ご葬儀について考えてみました②」で、「ご葬儀が簡略化されてきています。それ自体は、時代・環境の流れで、仕方がないことだと思います」と書きました。
書きましたが、亡くなられた方と、生前なんらかの交流があった方々が大勢お参りに参列されるご葬儀にお参りさせていただくと、「やっぱりご葬儀は大切な式なんだなぁ」と感じることがあります。
 
人が一生を尽くすということは、そこには人との触れ合いがあります。
ご葬儀の知らせがあると、万難を排してお参りにいきます。やはり、お参りせずにはおれないのです。
 
ご葬儀を内々で済ませたくなる気持ちも分かります。
うちでも、先々代の葬儀の際、普段連絡もしてこないような親戚が当たり前のように出てきて、葬儀を仕切ってしまったことがありました。
「気持ちのある身内だけでご葬儀をお勤めしたい」。その気持ちは痛いほどわかります。 
しかし、こころの底からお別れに立ち会いたいと思ってくれる人もいるのです。
そういう人の気持ちを差し置いてまで、「内々で済ませますから葬儀に来ないでください」とシャットアウトしてしまうのは、その方に対しても、亡き人に対しても失礼だと思うのです。
葬儀に来てくださる方々を通して、亡き人の歩んできた姿を感じさせていただけるものなのです。
 
こういうこともありました。
亡き人からいうとお孫さんにあたる子が葬儀場ではしゃいでいました。小さい子がいると場が和みます。そう、たとえ親戚どうしはうまくいってなくても、小さい子がいてくれるだけで、空気が和らぐのです。
無邪気な子がいるといいですね、という話ではありません。
小さい子、お孫さんがいるということは、亡き人のいのちが伝わっている証があるんだと感じたことがあります。
「だからご葬儀が大切にされてきたんだ」と思いました。
 
「なぜ葬儀をするのか」
大きな儀式…葬儀だけでなく、結婚式とか。成人式はどうだろう?…をするということは、それなりにお金・時間・労力・精神力を必要とします。おこたりなく、失礼の無いように、と。簡単に済ませてしまいたい気持ちにもなってしまいます。
それでも儀式をキチンと勤めるのは、私にまで伝わってきて、これからも伝わっていく何かを確認・認識することができるからなのではないでしょうか。(抽象的な言い方ですみません。ただ、そういう表現しかできないのです)。
血縁という意味だけの“いのち”ではなく、たしかにそこに人がいたという事実。
それを、あらためて感じるために、 
それを、決して忘れないために、ご葬儀(や大きな儀式)をお勤めするのではないでしょうか。
 
 
自分の意思で物事決められるように思っているけれど、そうじゃないのです。
 
「葬儀は内々で」「葬儀はやらなくていい」
でも、亡き人のことを慕ってお参りしてくださる方は、たくさんいるのです。そこに人が生きていたのですから。
 
「子どもはいらない」「子どもはまだいらない」
「結婚はしたくない」「結婚はまだ先でいい」
自分で計画することかもしれないけれど、でも、ご縁なのです。
子どもを「いる」とか「いらない」とか表現するのはもうやめませんか。授かるものなのです。
結婚も、しようと思ってできるものでもないし、したくなくてもすることもある。
 
死についても、恐れたり、まだ先のことと思ったり、遠ざけたりするかと思えば、
簡単に自分や他人のいのちを奪ってしまうこともある。
死を“縁”で語ると、よくお叱りを受けるのですが、死を迎えるということもまた縁なのです。 

「縁を待て」と言っているのではありません。
自分の想いを越えた縁の中を今、現に生きている。そういういのちを生きているのです。そういうことを伝えたいのです。
ご葬儀とは、縁を生きている“わたし”を確認する場だと思うのです。

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コメント

葬儀屋さんとやり合ったかつさんの気持ちはよく分かります。でも葬儀屋さんは、基督教の葬儀でも日本の風習を理由に清めの塩を置くのでしょうかね? ことしの2月に伯母が亡くなって、その家の宗旨の曹洞宗で葬儀が行なわれましたが、塩も無ければ、焼き場から還って来た時の手洗いの水もありませんでした。私は「良かった」と感じました。真宗の葬儀で強引に塩を置く葬儀屋さんがいるとは?! 

仏教が葬式仏教と批判されている現代において、かつさんの考えを読ませていただいて、やはり仏教においてこそ葬儀は必要であると再認識させていただきました。ありがとうございました。

☆やすさんへ
コメントありがとうございます。
ちょっと感情的に書いてしまったかなと反省していたのですが、やすさんのコメントを読んでホッとしました。
 
「基督教の葬儀でも日本の風習を理由に清めの塩を置くのでしょうかね?」
そう、そう、それも思ったのです(書き忘れてました)。その場合、どうするんでしょうね? 

 

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