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2008年5月 1日 (木)

2008年5月のことば

  Pict0324
  生きていてたのしいと思うことのひとつ
   それは人間が人間に逢って
    人間について話をするときです
               相田みつを

 
聞いてくれる人がいるから
 話すことができる。
話してくれる人がいるから
 聞くことができる。
 
自分の正義の主張
自分の都合の押し付け
愚痴を零す
他人(ひと)の評価・悪口
それも「人間について話をするとき」かもしれないけれど、そのような話は、他人を傷つけ、自分をも否定していることを忘れてはいけない。それに、そのような話をしているとき、聞いている人は誰もいない。
しかし、そのような話をすることが好きなのも人間。たしかに、楽しいことかもしれない。けれど、自分の正義を主張し、自分の都合ばかりを押しつけていると、そのしわ寄せは、自分に来ます。愚痴を零し、他人の悪口を言い、誰かを見下していると、その矛先は、いつしか自分に向いている。
正義の主張・都合の押し付け・愚痴・中傷・批判。それらをやめることはできない。その楽しさに身を任せ、いつしか足元すくわれる。たとえその瞬間は楽しくても、他者から自分に対する憎しみや、自身の孤独しか生み出さない。気付いたとき、独りになっていることでしょう。
語り合うことが大事だと言うけれど、それもまた難しい。話せば話すほど分かり合えなくなることもある。平行線をたどることもある。誤解が生じることもある。

このように書いていると、話をすることが恐くもなってしまいます。で、相田さんのことばを読み返す。
 「人間が人間に逢って」
大事なことを見落としていました。人間に逢わずに、人間について話すことはできません。
自分が関わる集まりの中で、正義の主張・都合の押し付けをすることもあります。仲間に対し、愚痴を零すこともあります。そこにいない人の悪口を言うことだってあります。
でもそれらは、人間に出逢っているからこそできることです。出逢い、話すこと。つまりそれは、日々の生活です。日々の生活そのものが、生きていてたのしいこと。たのしくないって? さて、どうしてでしょう。
「あう」を、「会う」ではなく「逢う」と書いていますね。「逢う」とは、愛しい人・大切な人に「逢う」ということ。愛しい人・大切な人といっても、誰か特定の人を指しているのではありません。すべての人々を愛しく、大切に想っているからこそ、「逢う」と表現されているのですね。「逢う」の感覚。先ずはそれが、「たのしい」ことの第一歩ではないでしょうか。
 
人生において、私ができることは限られています。私が経験し、身に付け、感じたことは、とてもとてもわずかなことです。でも、その感じたことを、人に話すことを通して、感動は何倍にも膨らみます。知らなかったことを知らされます。今までとは違うものの見方を教えられます。
同じ年齢、同じ学校、同じ職業、同じ環境にいる人と話をすることは大切です。しかし、そこでグループが形成され、殻に閉じこもり、あたかも普遍的な意見を語り合っているつもりで、まったく独善的な考え方に陥ってしまうことがあるものです。
年齢・性別の隔てなく、様々な環境に身を置いたものが、自分の感得したことを語り合う。当然、同じ境遇に身を置くものどうしが語り合うよりも、考え方の相違や納得できないことはあると思います。しかし、他人の話に耳を傾け、聞き、自分の中で反芻してみる。なるほどと思えることもあれば、やっぱり納得できないこともあることでしょう。でも、そこには聞くという姿勢が生まれます。
人間が人間に逢って、人間について話をする。語り合い、それを共感できて、自分の肥やしとなれば、それは素晴らしいこと。でも、共感できないこともあることでしょう。
だからといって、はじめから聞く耳を持たないのは、自ら孤独への扉を開くようなもの。
話すことがたのしいのは、不平不満を言ったりしてストレスを発散するからではありません。
話すことがたのしいのは、私の話を聞いてくれる人がいるからです。その、耳を澄まして聞いてくれるあなたは、私を受け止めてくれている。その安心感があるから、私は話すことができます。また、あなたが話してくれるから、私も聞くことができる。本当に話が成り立つというのは、そこに、手をつなぎ合う関係があるから。だからたのしい。
 
   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
 
西蓮寺門前の掲示板に、月替わりで人形を飾っています。5月の人形は鯉のぼりを見上げる子どもの人形と、坊守が長崎に帰った際に買った有田焼の絵皿です。
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コメント

相田みつをさんのことば、すてきですね。

『生きていてたのしいと思うこと・・・』
相田さんがそう言うだけで
生きる事が楽しいことだと思えてきます。

目の前に、話を聞いてくれる人がいてくれて
話してくれる人がいてくれて
だから、生きていけるのだな、と思います。

☆manatsuさんへ
相田みつをさんのことば、響きますよね。
最近の掲示板の言葉、パッと見ただけでは分かりづらい言葉が多かったので、
今月のように読んだだけで染み込んでくる言葉には、立ち止まって掲示板を見ている人がたくさんいるような気がします。
シンプル イズ ベスト…ですね

シンプル イズ ベスト・・・ですよね(笑)

純粋に素直に人と係わっていけたら、きっと楽しい毎日が過ごせるでしょうね。
人は心の中に余計なものを持ちすぎているのかもしれないですね。

☆manatsuさんへ
人の心は、シンプルとはいかないですね。
自分で自分のことすら分からず、複雑になっているのだから。
でも、だから楽しいのかもしれない。
余計なものじゃなくて、必要なものかもしれないですよ。

本日は聞法会に参加させていただき、ありがとうございました。私の発言が法話を中断させてしまったようで、余計な事をしたかな? との心配も残っています。これから約1ケ月は聞法会が目白押し。出来るだけ参加させていただこうと思っていますが、さるべき業縁がもよおすかどうかですからね。

☆やすさんへ
いつも聞法会へお出かけいただき、ありがとうございます。
ご指摘の部分、以前にも指摘されたことがあったので、それを思い出していたのでした。
イメージの部分であるけれど、親鸞聖人が伝えようとされた根っこの部分はキチンと受け止めなければいけませんよね。自分の中でまだ確認できていないことをしゃべってはいけませんでした。反省反省です。
聞法会月間、法の水につかる月間です。どうぞご聴聞ください。

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