明日とも知らぬいのちの中で、おしえのことばに出会えたこと
朝(あした)には紅顔(こうがん)ありて
夕(ゆう)べには白骨(はっこつ)となれる身なり
蓮如上人 「白骨の御文(おふみ)」
今月のことばです。
西蓮寺山門の前に掲示してあります。
お寺の前を通りかかり、立ち止まって掲示板を見ていたおふたりのご婦人がひとこと。
「縁起でもないわね」
「ねぇ~」
私の姿なんだけどなぁ。
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コメント
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こんにちは、カツさん
自然に、生きている
命に生かされてる命の事でも
ありますよね。
投稿: tanuki | 2008年4月20日 (日) 18:43
☆tanukiさんへ
「人と自然との共存」なんて言うけれど、「人」は「自然」の一部。「共に」と言いながら高みに立っている。いのちの事実が見えていないからかなぁって、感じます。
チューリップもなぎ倒せるわけだ。
投稿: かつ | 2008年4月25日 (金) 06:07
こんばんは、カツさん。
「人と自然との共存」
自然の恩恵で
人が存在できる事も、
感じる感覚自体も時代も
変わったのかもですね。
私も大好きな書・紙
あれも、思いきり地球・自然の恩恵です
石油やら多々ですね。
チューリップが人をなぎ倒す事は
ないかもです。
投稿: tanuki | 2008年4月25日 (金) 23:27
☆tanukiさんへ
チューリップが人をなぎ倒す絵を想像してしまいました。
まぁ、チューリップではなくても、自然界からしっぺ返しをくらっているのかもしれないですね。今の環境は。
投稿: かつ | 2008年4月26日 (土) 20:38