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2008年3月20日 (木)

私自身が願われている。そのことに目覚めるのが、ご供養。

一日雨で、寒いお彼岸お中日
でも、たくさんの方がお参りにみえました。
自分の意思でお参りに出かけたつもりだけれど、そこには、私をお寺に向かわしめたはたらきがある。
 
お寺に来て、山門をくぐり、本堂のご本尊に向かって手を合わせる。
「南無阿弥陀仏」
 
「念仏申す衆生を救いたい」という阿弥陀の本願が、今、私に届いている。
 
亡き人は、私に念仏申せ申せと呼びかけている。
 
雨が降り、寒い一日、せっかくのお休み
亡き人のためにお墓参りしていたつもりが、
亡き人から、念仏申せと呼びかけられていた。
阿弥陀仏の救いの声に目覚めよと、亡き人の声が、私にとどいている。
 
思慕(おも)われているのは、亡き人ではなく、この私自身でした。

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