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2008年3月17日 (月)

踏まれても 踏まれても

今日から春のお彼岸です。
月曜スタートということもあり、前の土・日にもお参りが多かったです。
 
この時期になると、境内に自然と水仙が芽吹きます。
Dscf1660
 
人の行き来があるところに咲くので、春のお彼岸に咲いては、踏まれてしまいます。
でも、咲くことを拒否もせず、毎年毎年咲いては、その存在に気付いた人間の目を楽しませてくれます。
踏まれてしまうかもしれない。でも、咲かずにはおれない。待っていてくれる人がいるから。
苦しみを味わうかもしれない。でも、生きずにはおれない。待っていてくれる人がいるから。
  
Dscf1661
踏まれてしまうのを見かねてか、水仙の周りに棒を立ててくださった方がいます。ありがとうございます。
水仙の周りに柵をしようかな。でも、全体に柵を立ててしまうと、ちょっと鬱陶しくなるなぁ…と、毎年考えているのですが、このように数本棒を立てるだけでも違いますね。いいことを教わりました。
ひとりだけで物事を考えていると、思考が狭くてダメですね。もっといろいろなアイディアがあるのに。
 
それでも、すでに踏まれてしまいましたが…。
人の視野って狭いですね。「どうしてそれが見えないの?」って思うことがあるけれど、興味があることしか見えなかったり、何かに夢中になっているときは何も見えません。視野が広がれば、もっと楽しいのに。

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