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2008年2月 2日 (土)

2008年2月のことば

   Dscf1245
   涙とともにパンを食べたものでなければ、
      人生の味はわからない。
  ゲーテ
 
涙味のパン…どのような味がするのだろう?
と、問うている時点で、涙とともにパンを食べていないことを告白しているようなもの。
パンを食べるとは、生きるということ。生きるといっても、ただパクパク食べているだけでは、生きているとはいえない。それは、動いているだけのこと。涙は、生きているからこそ流れるもの。動いているだけでは、雫さえこぼれない。涙こぼれる人生こそ、生きていることの証。
流れる涙を、隠してはいけない。

    
涙の海に人は溺れ、
涙でこころ洗われる。
涙なしの人生はありえない。
 
涙のきっかけとなった  
 悲しい出来事 苦しい出来事
悲しみも 苦しみも
 なければいいのにと思うけれど、
悲しみや 苦しみが
 あったからこそ 今の私がいる。
 
悲しくて流す涙
 悔しくて流す涙
  怒りに震えて流す涙もあれば、
安堵して流す涙
 嬉しくて流す涙
  感動にこころ響いて流す涙もある
涙の味はさまざま
 
でも、
それぞれの涙の味が
それぞれ独立しているのではない。
嬉しさの味を知るからこそ
 悲しみの涙はしょっぱく、
悲しみの味を知るからこそ
 嬉しさの涙はあたたかくもあり、
          そして、切ない。

甘い味付けには、
 塩味が欠かせない。
つかれた こころとからだには、
 やさしいあまさがしみわたる。
どんなに美味しいものでも、
 食べ続ければ飽きてしまう。
自分の希望通りのものばかりでは、
 新しい味に出会えない。
食べず嫌いでは、
 本当の良さを感じることもない。
 
味を知ることは、
 人生を知ること。
味覚が豊かになるということは、
 人生が豊かになるということ。
 
嬉しさの涙ばかり流していては、
 それが嬉しさとは気付かなくなる。
 ひとの悲しみがわからなくなる。

悲しみの涙を流してばかりでは、
 目の前にある
 ひとが、道が、光が見えない。
 
涙のしょっぱさに耐え 我慢すれば、
そのしょっぱさが、
 消えると思ってはないだろうか。
 甘くなると思ってはないだろうか。
涙のしょっぱさは、
 いつまでも変わらない。
年を経るとともに、
経験を積むとともに、
 涙のしょっぱさを より強く感じる。
しょっぱさの濃度は同じでも、
 私の感覚が増してくる。
今まで感じなかった涙の味を、
 こころ突き刺すほどに感じる。
 
涙のしょっぱさは、
 いつまでも変わらない。
 
哀しいことは、
 しょっぱさに慣れてしまうこと。
 しょっぱさを忘れてしまうこと。
 
もう涙も流れないほど泣いたのに、
 あふれる涙は尽きない。
それは、
 涙の味を忘れないため。
  
     ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
      

Dscf1248
西蓮寺門前の掲示板に月替わりで人形を飾っています。
2月の人形は石で出来たパンダとフクロウです。
大久保石材様よりちょうだい致しました。
ありがとうございます。

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