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2007年9月23日 (日)

意巧にきく物

西蓮寺境内の掲示板
Dscf0810
自分の思いどおりにしようとしたら孤独になる
                         鈴木 章子
 
このことばを眺めていた方がポツリと、
「これって、○○さんのことだなぁ」
   
いえ いえ、“私”のことですからね!!
誰かを想像してしまうのは分かりますが、おしえのことばは、“私”を映し出す鏡です。
 
☆  
   
一 前々住上人、御法談已後、仰せられ候う。四五人の御兄弟へ仰せられ候う。「四五人の衆、寄り合い談合せよ。必ず、五人は五人ながら、意巧にきく物なり。能く能く談合すべき」の由、仰せられ候う。
                       (蓮如上人御一代記聞書120)

蓮如上人はおっしゃいました。 
「ご法話を聞いた後、聞いたおしえについて語り合いなさい。おしえは、それぞれが自分の都合のいいように聞いてしまうものです。聞いた人の数だけ理解があります。おしえについて、自分の了解だけで満足せず、聞いた人が集まって、よ~く語り合いなさい」 

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コメント

本日は犬を含めた家族全員で、お彼岸のお参りをさせていただきました。

仏法の教えは、みな今の自分のことですね。経典に説かれていることも、みんな昔や未来の衆生のことではなく、今の自分のことですね。

「談合」は聞法会に取り入れた方がよいのでは?
 とかねがね思っています。

☆やすさんへ
お彼岸のお参り、ご苦労様です。
ワンちゃんも ようこそでした。

「仏法の教えは、みな今の自分のことですね」
まさに今現在説法ですね。
 
「談合」取り入れようとしてはいるのですが、
いつぞやのように、自分の嫌いなことを受け入れられないところで話が止まってしまうのです。
話の持って行き方の問題でしょうか。

「談合」がどうなるか、どういう方向へ行くかは、「どういう方向へ持って行こう」などとの計らいはやめて、その場の自然な成り行きに任せてみてはいかがでしょうか? 法話の後の談合の時間は、出席している門徒さんが主人公になるのです。勿論かつさんも、その中のお一人です。ただし最後は、やはりかつさんが締めなければならないでしょうね。こんな風に感じています。あくまでも私見です。

ただほれぼれと 法に耳を澄ます

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