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2007年9月 7日 (金)

感じ動かされる

ちょっと前のことですが、
8月26日(日)信光寺聞法会にて
講師:清谷 真澄先生

『感動禁止!』(八柏 龍紀著)という本を紹介してくださいました。
今、巷では感動があふれている。演出された感動が。
テレビや新聞は感動や涙を押し付け、感動を商品化している。
見る側も感動を求め、演出された感動を買い求め、消費している。
「感動」とか「勇気をもらう」などということは、そもそも個人の感情におとずれるものであったはずである。それが、多数を対象に押し付けられている。
「感動させよう」という意図と「感動させてくれ」という欲求が交錯している。
感動を求める方は、感動させてくれないものに対してすさまじいほどの裏切りの感情をもつ。「感動させてくれなかった」と。まさに人間のエゴである。
(聞法会中に書き取ったメモより)
 

  
このブログで、前回「世界陸上」に触れて書いたので、清谷先生のお話を思い出していました。
選手は、記録のため、自分のため、家族のため、いろいろな想いで日々鍛錬しています。そのような選手どうしが競い合う。その姿を見ていれば、自然にこころの奥底から湧いてくるものがあるはず。何かしら感じるものがあるはず。「感動」を押し付けもせず、要求もしない。個人的に湧き起こる感情を大切にしたいですね。
 
「世界陸上」が終わったと思ったら、もう「北京オリンピック」での感動を求めている新聞記事を読みました。
そんなに感動に飢えているのですか?

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コメント

「信心歓喜」は常に新鮮な感動ですネ。
三千大千世界が六種振動するような・・・・・

☆やすさんへ
そう考えると、「感動」って、そう簡単に実験できるものではないですよね。
今現在は「感動」の大安売りの世なり^^

清ちゃん元気でしたか?ご無沙汰です。

☆ARIさんへ
清ちゃん…あぁ、清谷先生ね^^
相変わらず元気(に見える)ですよ。
聖典を読むときに老眼鏡をかける姿を見ると、「あぁ老けたなぁ」って思いますけど。

ARIさんはお元気?

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