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2007年9月21日 (金)

若きとき仏法はたしなめ

病気・怪我・事故などが続くと不安になるのは分かります。
が、べつに何かが憑いているわけではありません。
生きていれば、病気にもなるし、怪我もするし、事故に遭うこともある。
 
「お祓いしてください」
「うちではお祓いはやってないんです」
「あぁ、そういう宗派でしたね」
 
宗派(おしえ)がそうだから、私もそれに従うっていうものではありません。
身の事実をそのまんま受け止める。そういう生き方をしてきた人がいる。その人々が よりどころ にしてきたおしえが浄土真宗だった。
おしえに身を、考え方を合わせていたら、自分に都合の良いものを選び取ることになります。
阿弥陀さまから既に与えられているおしえなのに。 
 
「ことば こころのはな」9月の文章に感想をいただきました。
「信心を得た人が木片と遭遇するのなら、阿弥陀さんの救いは人を選ぶことになりますよね」
 
なるほど、そういう読み方もできますね。しかし、
木片は、阿弥陀さんを信じた人に現われるものではありません。誰もが今、現に、木片を よりどころ としてプカプカ浮いているんです。自分では気づいてないだけで。
  
聞法(おしえを聞く)しても、病気・怪我・事故を避けられるわけではない。聞法していても、病気・怪我・事故に遭うときは遭うし、悪い心が芽生えるときだってある。
でも「聞法しろ、聞法しろ」と勧めるのは、木片の存在に気付いてほしいから。
私は、この娑婆世界を溺れているのではない。木片につかまりながら必死で生きている。
 
溺れるものは藁をもつかむというけれど、病気・怪我・事故に遭ってから おしえ をもとめても、厄を祓いますよと言うおしえとは言えないおしえにつかまり、ブクブクと沈んでいくことでしょう。
普段から法に出遇っていると、やはりその時(病気・怪我・事故に遭った時)は慌てるだろうけど、ブクブク沈むことはない。慌てて藁をつかむことはない。「あぁ、木片があったんだ!」って思えるから。
 
「お祓いはしてませんが、聞法会をやってますから、お出かけください」
そのようにお勧めいたしますが、来てくださった方はいまだかつておりません。 

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