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2007年8月16日 (木)

涙を枯らしてはいけない

哀しい出来事は、「ある」よりは「ない」ほうがいい。
でも、生きていれば、哀しい出来事とも出会う。
なぜ哀しい出来事が起こるのか。
他人(ひと)の哀しみに、思いを寄せるためかもしれない。
 
私が哀しい出来事を経験したからこそ、他人の哀しみが伝わってくる。
伝わるから、他人の痛み・苦労・苦悩が分かる。
分かるっていうのは、失礼だな。
痛いのかな、苦しいのかな、つらいのかなって、気づくことはできる。
逆に言うと、私に哀しみの経験がなければ、他人の哀しみなんて見えやしない。

なぜ哀しい思いをするのか。
他人の痛みを感じるため。
痛みの元を知るため。
知って、哀しい事実を忘れないため。
 
じゃぁ、戦争を経験してない者は、戦争で被害にあった方々の想いを知ることはできないのか。
いや、聞いて、知って、考えて、涙することができる。
そうやって、戦争の悲惨さは伝わってきた。
伝わっているはずだ。
はずなのに、薄れていく、消えていく、なくなっていく…そして、戦争をしようと企む者が出てくる。
また哀しみを繰り返すのか。

哀しい出来事は、避けられないもの。
でも、その繰り返しは避けられるはず。
哀しみから目を背けなければ。
哀しみを忘れなければ。
哀しみを、ともに涙する人がいてくれれば。
   
哀しい出来事が哀しいのではない。
哀しい出来事を忘れてしまうことが、哀しい。

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