« 打ち水 | トップページ | 平和の鐘 »

2007年8月 7日 (火)

人が人を裁くということ

朝青龍関の処分が出ました。
当然だという人もいれば、厳しすぎるという人もいる。
外国人力士が強すぎるからやっかみだという人もいれば、日本国技の伝統を知らなすぎるという人もいる。問題の本質は、そこだろうか?
もし白鵬関が横綱になっていなかったら、同じ処分が下されていただろうか?
      
参院選後、赤城農林相が大臣の職を辞しました。
遅すぎるという人もいれば、どうしてこのタイミングでという人もいる。
辞職なのか、更迭なのか、そんなところがクローズアップされもした。
もし参院選で、自民党が大勝していたら、赤城大臣の処遇はどうなっていただろうか?
    
事件後、その後の裁判の行方に注目していることがあります(詳しくは書きませんが)。
なぜか弁護団が物凄く頑張っている。その頑張りように不自然さを感じていました。
「あれは、自分たちが主張していることを世間に知らしめようとしているんだよ」と教えていただきました。
裁判が円滑に進むためにも、弁護士は必要。「なぜあんな凶悪犯の弁護をするんだ」ということもおありでしょうが、弁護士がつかないことには、裁判は開かれません。
でも、当の弁護団の目的は、被告の弁護にはないらしい。この裁判を利用しているだけなのか。
被害者だけでなく、自分たちが弁護すべき被告をもバカにした行為。
この裁判の行方にから、ますます目が離せなくなった。
    
すいません、ちょっとムキになりました。
今日書きたかったことは、「果たして、人は人を裁けるのだろうか?」ということ。
「だろうか?」の背後には、「いや、裁けない」という想いを含んでいます。
「人は人を裁くことはできない」「私は、人を裁くに値する人間だろうか?」先ずそこに立って、物事考えなければいけないと感じています。
報道される内容に、あまりにストレートに反応してしまうきらいがあるような気がしてなりません。
  
「裁く」というとちょっと大袈裟ですが、人をしかるときも、頭ごなしにしかるのではなく、「自分はどうだろうか?」という視点を忘れてはいけないと思います。
  
自分が擁護するものには甘く、嫌いなものには厳しくなっていないだろうか。
自分には甘く、他人には厳しくなっていないだろうか。

« 打ち水 | トップページ | 平和の鐘 »

コメント

たぶん、ARIも同じ事件の裁判に関心を持ち見ています。(本当に同じかな?)
裁くって難しいですね。でも、裁く人がいないと(しかる人)悪い事がはびこってしまうのではないかなって思います。その人の為だって思ってしかったりするのは悪くないって思ってます。
以前、甥っ子のほっぺをひっぱたいたことがあります。それは、彼の親の事を彼はとても悪く言ったからです。
叩いた後の手の痛さより、自分の心の方が痛かったです。これで良かったのか?など自分自信考えてしましました。子供をいい方へ導いて行く大人の責任は、愛情なんだと思います。愛情は、褒めるだけではなくしかる事も大切なんだと思います。

事件の彼が素直にごめんなさいが言えるように導いて欲しいと思っています。

☆ARIさんへ
裁く人は必要です。大切な人です。でも、
しかった方も痛いのです。
裁く方も哀しいのです。
しかり、裁いたほうこそが、自分自身を見つめなおせるのです。
そんな痛さや哀しさを味わいたくないから、人をしからない、
或いは、自分のことは棚に上げてしかり、裁く。
愛情がないのです。無関心なのです。
 
「事件の彼が素直にごめんなさいが言えるように導いて欲しい」
そういう方向に導き、どうか刑の軽減を、って願うのが弁護じゃないのかなぁ。自分の主義主張を通すために、弁護という仮面をかぶっている。そんな気がしてなりません。そろそろ仮面がはがれてくることでしょう。

裁く。弁護する。もしかしたら、同義なのかもしれない。本来の意味で、裁き弁護してくれる人がいない世の中なのかもしれない。
  
この事件について、語り合いたいものです。またどこかの仏青でお会いしましょう。

本日は聞法会に出席させていただき、ありがとうございました。「自分さがし」ということが、ご年配の女性の方々にはピンと来なかったようですね。法話を為されるかつさんの御苦労というものを感じました。私は「自己とは他なし。絶対無限の妙用に乗託して・・・・・」との、清沢満之先生の私が好きなお言葉を思い浮かべていました。
美味しいお菓子もももももらいまして(笑)ありがとうございました。

☆やすさんへ
昨日は、お暑い中 聞法会にお出かけいただきありがとうございます。

「自分さがし」とは、
「自己とは他なし、絶対無限の妙用に乗託して任運に法爾に、此の現前の境遇に落在せるもの、即ち是なり」
そうですね。
「自分を知ることは阿弥陀を知ることであり、
阿弥陀を知ることが自己を知ることである」
というようなことをお話するつもりでいたのですが、忘れてしまいました!!
なんか、いつも忘れ物してるお話で申しわけありません。
お菓子、よろこんでいただけて、うれしいです^^
お暑いです。おからだお大事に。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 打ち水 | トップページ | 平和の鐘 »

フォト
2019年11月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ