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2007年7月14日 (土)

新盆法要でお話したこと③

新盆法要でお話したこと③ 「坊…聞法の場」

新盆法要の案内が来て、お寺に集まられて、お坊さんが読経するものと思われたことと思います。
でも、読経の前に、私(副住職)が法話をする。
「あれ?」って思われた方もいるのではないでしょうか。
 
浄土真宗のお寺って、本来、仏教のお話を聞くところなのです。
ちなみに、お話を聞くところを「坊(ぼう)」と言います。そこで中心になる人、坊の主(あるじ)が必要です。その人を「坊主(ぼうず)」と言います。また、浄土真宗のお寺では、住職の奥さんを「坊守(ぼうもり)」と言います。坊を守り、坊主を守り、法を守る。大切なお役目を担っています。浄土真宗のお寺を本当に支えているのは、「坊守」さんなのです。
話が逸れましたが、法要(お経)に先立って法話があっても不思議なことではないのです。いや、法話なしに法要は成り立たないのです。
 
では、仏教のお話聞いてどうするのか? どうなるのか?
迷っている自分の姿が知らされます。
自分の迷いを他のせいにして生きている、私の姿を。
そのように、知らないうちに他を傷つけ、他のいのちを奪い、生きている私。
そのような者が、どうして生きていられるのか。救われるのか。
 
浄土真宗のご本尊は、阿弥陀如来です。
阿弥陀如来は、そのような私を救いたいと、遥か昔に願いを立てられました。
阿弥陀如来の、衆生を救いたいという願いがあるからこそ、今のままの私でいられるのです。

「南無阿弥陀仏」
「南無」は「頼りとします」「よりどころとします」という意味です。
「南無阿弥陀仏」阿弥陀如来を頼りとして、人生を歩みますという想いが、手を合わさせ、頭を下げさせる。

「坊」
聞法し、自分を知り、自分を見つめ、そこで初めて「南無阿弥陀仏」とお念仏が出てきます。
「南無阿弥陀仏」…亡き人に安らかに眠っていただく呪文ではありません。私を目覚めさせるお念仏。
亡き人は、阿弥陀如来の願いに気付け気付けと呼びかけています。眠ってなんかいられません。忙しいのです。
眠っている私を起こすために。

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