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2007年6月21日 (木)

今、いのちがあなたを生きている⑩(完)

「宗祖親鸞聖人750回御遠忌 東京教区お待ち受け大会」の聞き書きを9回にわたって書いてきました。
大会の聞き書き自体は、前回の記事で終わりですが、もうひとつ書きたい出来事がありました。

大会が終わって、一緒に聞いていた友人と四谷のVOWZ Bar(坊主バー)に行きました。
オーナーの田口さんが法話をしてくれる、とっても素敵なバーです。
 
お店に入ると、カップルの先客がいました。カウンターで田口オーナーとお話しています。
カップルの、特に女性の方が田口さんに仏教のことをいろいろ質問しています。それに丁寧に応える田口さん。
聞くともなしに聞いていました。
話が進み、田口さんが「私たちが口にしているものにも、いのちがあるんですよ。私たちは、そのいのちをちょうだいしているんです。魚にも…」とまで話したときに、女性が「待って」と田口さんが話すのを止めて、言いました。

「魚のいのちをもらってるとか、そんなこと言い出したら切りがないじゃない。それに、私は魚を獲ってって頼んだわけじゃないし。頼まれてなくても、魚とか獲る人がいて、それがお店に並ぶ。それを食べたい人が買う。それだけのこと。いのちのつながりとか、そんなこと考えていたら、何も食べられないわよ」

というようなことを、一気に話しました。
さて、その話を聞いて、あなたはどう思われますか?

私は、不思議と落ち着いていました。
怒る気も起きなかったし、呆れたわけでもない。そういうことを言う人がいて哀しむわけでもないし、同意するわけでもない。
確かに、そんな考え方をするんだ!! って驚いたことは驚いたのですが、「あぁ、もしかしたら、こういう考え方をする人が多数派なのかもなぁ」って思ったのです。
 
「生き物のいのちをいただいている」
「生き物は大切にしなければいけない」
「いのちは大切にしなければいけない」
そういうことって、生きていくうえでの大前提だと思うのです。誰かに言われるまでもなく、誰もが持っている共通認識。つまり、わざわざ口にするまでもないこと。そういうことだと思っていました。
 
でも、バーで先のような発言を耳にして、「もしかして、この発言が多数派なのかもな」って思ったのです。
言うまでもないと思っていたこと、つまり「生き物のいのちをいただいている」「生き物は大切に」「いのちは大切に」ということって、もっともっと言っていかなければいけないことなんだって、強く感じました。


 
親鸞聖人の750回御遠忌テーマ「今、いのちがあなたを生きている」について僧侶が語るとき、「いのち」を「阿弥陀如来」といただいて語ります。
「阿弥陀如来の慈悲の中を、今、私たちは生かされているのです」というように。
 
在家の方がテーマについて想いを述べられると、「いのち」を「命」と押さえられる方が多いように思います。
「他の生き物の命をちょうだいしている」
「先祖代々の命を受け継いで、今の私が誕生した」というように。
 
「今、いのちがあなたを生きている」
テーマを聞いた人の数だけ想いがあります。
何が正しくて、何が間違っているという話ではありません。
 
ただ、最近テーマについて書かれたものを読むとき、あまりに僧侶の側の想いが「いのち=阿弥陀如来」に固執しているような気がするのです。それ以外は間違い、みたいな。
でもやはり、一般に「いのち」って耳にしたら、「命」を連想すると思うのです。
「他の生き物の命をちょうだいしている」
「先祖代々の命を受け継いで、今の私が誕生した」というように。
もっと「いのち=命」から出発して、テーマについて語ってもいいのではないかと思うのです。


 
「いのち」も「命」も根っこは「阿弥陀如来」。すべてつながっている。
だから、「いのち」が「命」であっても「阿弥陀如来」であっても、伝えたい想いは同じになると思う。
でも、バーでの女性の発言を聞いて、もっと「命」について泥臭く語ってもいいんじゃないかなって思いました。
当たり前のことだからと思い込んで、「命」について語らずに来てしまったのかもしれません。
 
お待ち受け大会に行って、その帰りに、この女性の発言に出会う。私なりに抱いていたテーマ感を、根底から考え直させられました。そうなるように出来ていたのだと思います。

実は、バーでのこの出来事について書きたくて、みんなにも考えてもらいたくて、10回にわたって文章を書いてきました。お付き合いいただいて、ありがとうございます。
それぞれの中で、テーマの意味を考えていただいて、2011年の親鸞聖人の御遠忌を迎えていただけたらと思います。

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コメント

カツさんこんばんは、
泥臭くの部分に共鳴してますね。

ああ、もっと素直っていうか、それぞれの生物中で命の大切さ感じます。
他の命のお陰で、私達は生命を営んでいる。
では、享受された命に人間は想いを巡らす余裕が
あるのか?
大分前にカツさんが、ヒントをくれたように感じます。小学生の給食に、手を合わせていただきます。この積み重ねが未来に役立ちますが、いつのまにか、廃れないようにしたいものです。

バーに出てくる女性にも怒り、感じません。
私、収入的には、副業が支えですが、主業は農家やと思ってます。農業毎回なんらかの形で、命奪いながら、農作物作ります。重労働です。
だけど、知人からは農業楽でいいねえが大多数。
そんなもんですね。
本筋からそれてしまいましたが、私は自分が知らないという事が多いものに恥じています。
泥臭く話せる聞ける場が、あれば、本当にいいなあ。
かつさんのこのシリーズは、私の全体験に響き、
問いかけられます。ありがとうございます。

☆tanukiさんへ
長い聞き書きにお付き合いくださって、ありがとうございます。
もっともっと泥臭く行こうと思います^^
そういえば、ちょっと前に友人(僧侶)と「最近坊主にストレートさがないよね」なんて話したことがあるのを思い出しました。なんでしょうね、話の体裁や話した結果を気にしているのかな。カッコつけようとしてました。

お仕事って、他の職種が楽に見えてしまうのかな? まぁ、「自分が一番大変」って想いでいろいろなものを見てしまうから、無理もないですね。でも、どんなお仕事も、大変なんです。生活の糧を得るのですから。
私も、よく「坊さんは楽でいいな」って言われます。基本寺にいるから、暇に見えるのかな。先日、小学生にまで「お坊さんは楽でいいなぁ」って言われてしまいました(TT)
 
人間、知らないことの方が多いんですよ。
私も、農業の現実を知らなかったし、環境問題の現状はtanukiさんに教えていただいたじゃないですか。
恥じることはないです。学ぶことがもっともっとたくさんある。ワクワクしません?(根っからの楽天家)
泥臭く学び、泥臭く語りあいましょう。

言うまでもないと思っていたこと、つまり「生き物のいのちをいただいている」「生き物は大切に」「いのちは大切に」ということって、もっともっと言っていかなければいけないことなんだって、強く感じました。

>ARIもそう思います。もっと伝えなければいけないって!!
以前皆に出会う前は、ARIも彼女達のような感覚でした。”いのちが大切”わかってはいるけど、口に出すまでもない、当たり前のこと。それは、
人間にだけのいのちが大切だと言う事で、動物植物のことなんて考えてはいなかった。
最初、児連に行った時”なんでいただきますっていうか知ってる?”とヒロに聞かれました。
考えた事もなかった・・・。”いただきます”と言う事は教わっても意味まで教わった記憶はないのです。きっと、彼女達もそうなのかもしれません。
ARIは、みんなと付き合うようになってからたくさんの勉強をしました。
もっと、声を出して伝えて行く。日常の簡単な所からそれが大切なのかもって思っています。

☆ARIさん こんにちは
伝えることの大切さが伝わってきました。
やっぱ、人と人とのつながり、体温ですね。
本やネットでどんなに「大切さ」を叫んでも、人と人の直接のやりとりには叶わない。

ヒロさんやみんなとの出会い…
良い出会いがあったわけではなく、
出会いを良いものとして受け取れる魅力がARIさんに感じます。    

「もっと、声を出して伝えていく」
大切なことを伝えていただきました。
ありがとう。

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