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2007年6月15日 (金)

今、いのちがあなたを生きている⑧

6月2日
「宗祖親鸞聖人750回御遠忌 東京教区お待ち受け大会」
聞き書き

(パネルディスカッションより)
芹沢氏
『母という暴力』という本を出版したことがあります。出版社の方には、こんな名前では売れないと反対されましたが。
子どもは、自分を受け止めてもらう“受け止められ体験”を通して、人を信頼することを覚えていきます。
母として子どもに何かしてあげようとするのではなく、受け止め手として子どもの前にいたらいいのではないか、ということを伝えたくて書いた本です。
買ってくれるお母さんがいて、お手紙もいただきました。その中に、次のような声がありました。
「仰っていることは分かりました。でも、私の受け止めて手は誰なんでしょう?」
子育ての不安を感じての声です。子どもの受け止め手になろうとすることは出来るけれど、私(お母さん)を受け止めてくれる人は、誰で、果たしてどこにいるのでしょう。
   
受け止め手になろうと努めることはできるけれど、「この人は受け止めてくれる人だ」って判断するのは、相手です。受け止め手として認めてもらえるかどうかは分かりません。でも、受け止め手であろうとすることは出来ます。
私は、受け止め手として認めてもらえるように努めていきたいのです。

(つぶやき)
海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。
そして母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある

三好達治さんの「郷愁」という詩の一節を思い出していました。
「海」という漢字の中には「母」がいます。
フランス語の「母(mere)」の中には「海(mer)」があります。発音は、同じ「メール」だそうです。

文字で表現される以前から、洋の東西を問わず、「海」や「母」に受け止められているっていう安心感があるからこそ、それらの言葉が生まれてきた。
大いなるものに包まれているという安心感。誰もが既に包まれている。
淋しいとか、孤独だって想う前に、大いなるものに包まれているという物語を持ってほしい。
いや、淋しさや孤独を感じている今こそ、物語をもてるチャンスなのかもしれない。

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