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2007年5月 9日 (水)

思い上がり

自分だけがこの苦しみを引き受ければ、みんなは幸せでいられる。

こんなつらい思いをするのは、自分だけでたくさんだ。

自分だけが耐え忍んでいるつもりだった。

自分が耐えている苦しみを、みんなも受けているというのに。

幸せを享受している背景には不幸を背負っている人が
不幸の渦中にあるとき、幸せを感じている人がいる
と、書いた。そういうこともあるけれど、違う面もある。
 
私の幸せな姿を見て幸せを感じてくれるひともいる。
自分だけが苦悩を背負えばいいと頑張る姿…その姿を見て涙こぼす人もいる。
関係性を生きている。こういうことでした。

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コメント

本日は聞法会に参加させていただくことが出来て「おかげさま」でした。やはり仏法聴聞の場に連なる身とさせていただいたことだけでも有り難いことです。今週の私は「私が私になる」「自己とは何ぞや」との法話に接する縁が催しているのでしょう。清沢満之先生の「絶対無限の妙用に乗託して、任運に、法爾に、現前の境遇に落在せるものなり。」の教えが常に浮んできます。

☆やすさん こんばんは
今日はようこそ聞法会にお越しくださいました。
前々から耳にしていることばなのに、ある時フト味わい深くなることばってありますよね。

やすさんにとっての「絶対無限の妙用に乗託して、任運に、法爾に、現前の境遇に落在せるものなり」であり、
私にとっての「天命に安んじて人事を尽くす」も。
よびかけですね。

「追伸」
きょうの法話の中で出た「世間八法」の言葉をネットで検索して調べたところ、「増一阿含経」「華厳経 - 離世間品」「涅槃経 - 徳王品」「大集経」、チベット仏教の教えなどに出ていることが分かりました。小乗・大乗・密教に共通する教えのようですね。勉強させていただきました。正に「世間八法」の真っ只中に生きている私。それにも染まぬ蓮華の如きお念仏ですね。

☆やすさん おはようございます
さっそく情報ありがとうございます。
そんなに昔から「世間八法」な生き方の我が身をお示しいただいているのですね。だけれども、何も変わらない人間の本質。
こんな人間だからこそ、念仏の花ひらく。
まさに蓮華の如きお念仏です。

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