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2007年5月 8日 (火)

幸せという傷を背負って生きる

(昨日のつづき)
出会いがあって、別れがある。
一対一の関係として考えると、出会いと別れのストーリーにすぎないけれど、
関係性の中を生きていることを考えると、出会いの背景には同時進行で別れがあり、別れの背景には同時進行で出会いがある。
そんなことを昨日は書きました。
 
そのような思いから、更に想ったことがあります。
「幸せ」についてです。
「出会いと別れ」を、「幸せと不幸」に入れ替えても同じだなぁって、痛感したのです。

幸せな出来事があったとしても、それもいつまでも続くものではありません。
幸せな想いが薄れていったり、更に幸せを求めたり、状況が変わって不幸になることもあります。
でも、自分ひとり(あるいは狭い仲間内)のことで考えると、幸せの果てには不幸が訪れるストーリーでしかありません。
やはり、関係性の中を生きているということを思うと、私の身に幸せ(と思える出来事)があった時、その背景には不幸を味わっている人がいるのです。その逆もあります。不幸な目に遭っているとき、幸せを享受している人がいるのです。
幸せから不幸へ(不幸から幸せへ)と移行するのではなく、幸せと不幸は混在しているし、不幸と幸せも混在しているのです。
 
その事実を想うと、「幸せになりたい」と思うことは、とても傲慢なことなのです。他人を傷つけることを望んでいるようなものなのですから。たとえ私にその気はなくても。
不幸だから幸せになりたいのではない、幸せになりたいという思いが不幸なのです。

幸せを望んではいけないと言ってるのではありません。幸せの背景には、不幸とまでは表現しなくても、つらい思いをしている人がいます。誰もが同時に幸せなことなどありえないのです。そのことを忘れてはいけないと思うのです。

 自分の幸せ願うこと わがままではないでしょ
 それならあなたを抱き寄せたい できるだけぎゅっと
 私の涙が乾くころ あの子が泣いてるよ
 このまま僕らの地面は乾かない
  
     宇多田ヒカル「誰かの願いが叶うころ 」

つくべき縁あればともない、はなるべき縁あれば、はなるる」ことを考えていたら、
私の涙が乾くころ あの子が泣いてるよ」ということに行き着きました。             
自然のことわり(自然の道理)なのですね。
 
「対極にあるようだけど、ひとつなのです」というカテゴリーを設けました(↓)。

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