闇(やみ)
「闇」は、「もんがまえ」と「音」から成る。
「門」は、内側から閂(かんぬき)をかけます。つまり、開けるも閉じるも、中にいる人がすること。
「音」は何を表わすのだろう。「声」ではないでしょうか。
私の心の奥底にある想い。楽しいことも嬉しいことも、辛いことも哀しいことも、声に出さないと周りには伝わらない。声に出すことによって、実は誰よりもこの私自身が、今、自分が何を想っているのかを知ることができる。
さて、私は「門」を開けているだろうか。自分の想いを表に出しているだろうか。
門を開けることを忘れている人、恥ずかしがっている人、恐れている人、抵抗がある人、必要を感じない人。いろいろな人がいることでしょう。でも、閉じたままでいいのなら、壁でいいはず。なぜ「門」なのでしょう。
門を閉じて、自分ひとり、物事を見つめる時間も大切。
門を開いて、自分の想いを発することも素敵なこと。
閉じたままでは、こころが錆びついてしまう。
開けたままだと、自分を省みることがない。
理解しがたい事件があれば、犯人の「心の闇」と騒ぎ立てる。
「心の闇」…誰もが持っているし、特定の人が持つものではない。
多くの人が、「心の闇」の門の開閉が出来て、声を発している。器用不器用はあるけれど。
でも中には、門の開閉が、いや、開くことが出来ない人がいるのだと思う。開くことが出来ないから、声が出せない。閉じた門の中で声は、想いは、どんどん膨らむ。その表に出せない想いが、どんどんどんどん膨らんで、ある日突然暴発してしまう。門は壊れ、周りにいる人も巻き込んでしまう。
門の外にいる者が、門を開けることはできないけれど、「元気?」「どっか行こうか♪」って、門の外から呼びかけることはできる。門が壊れて、巻き添えを食う覚悟で、門の前に居続けてあげることもできる。というより、周りの人間に出来ることはそれだけ。門を開けるも閉じたままも、決めるのは門の中に居る者、つまり私自身なのだから。
閂を外してみませんか!!
外の世界も、そんなに悪いところではないですよ。
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