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2007年4月25日 (水)

愛憎会苦 

「好き」を口にするのは、こころの底からの叫びなのでしょうが、
「嫌い」を口にするのは、どういう心境かな?
わざわざ言わなくてもいいと思うのです。

この人は好き あの人は嫌い
このチームは好き あのチームは嫌い
このお店は好き あのお店は嫌い
この食べ物は好き あの食べ物は嫌い

まぁ、時と場合によりますね。
面白いなぁって感じたのは、好きも嫌いも「意識している」ってことだなぁって思ったのです。
意識している。関心がある。無視はできない。
好きも嫌いも、根っこは同じなのかもしれないですね。
  
マザー・テレサは言いました。
愛の反対は憎しみではありません。無関心です」と。
好きの反対も嫌いではなく、やはり無関心。
「意識している・関心がある・無視はできない」という意味では、嫌いな○○も、「好きではない」ということではないようです。
 
それに、「これは好き あれは嫌い」という書き方をしましたが、
「これは好きだったけど 今は嫌い」
「あれは嫌いだったけど 今は好き」という、こころの変化は人間には日常茶飯事。
好きな対象をずっと好きで、嫌いな対象をずっと嫌い続けるとも限らない。
好きなものが嫌いにもなるし、嫌いなものが好きにもなる。それは、関心を持っているから。
関心がある対象は、好き嫌い、つまり感情のすべてを導入して接しているのかもしれません。
 

 
仏教では、苦を「八苦」で代表される。
生苦・老苦・病苦・死苦の四苦と、
愛別離苦(愛する者とも別れる苦)
〔あい・べつ・り・く〕
怨憎会苦(憎い者とも出会わなければならない苦)
〔おん・ぞう・え・く〕
求不得苦(求めるものが得られない苦)
〔ぐ・ふ・とく・く〕
五蘊盛苦(存在にそなわっている苦)
〔ご・うん・じょう・く〕

そのうちの「愛別離苦」と「怨憎会苦」について一言
先日なぜか頭の中で「愛憎会苦」という言葉に置き換わってしまいました(単なる記憶違いなのですが)。
  〔「愛別離苦」・「怨憎会苦」→「愛憎会苦」〕

「憎い者と会う苦しみは説明つくけど、愛する者と会うことも苦しみだなんて、お釈迦さまも感傷的な方だったんだなぁ」って、自分の記憶違いを棚に上げて思ってました。

でも、「愛憎会苦」…
「愛する者と会う苦しみ、憎い者と会う苦しみ」と分けて考えるのではなく、
「愛憎する者と出会う苦しみ」と解釈できるなぁ、なんて勝手に味わってました。

人生に愛する者と憎しむ者とが、別々にいるのではなく、
出会う者のすべてが、愛憎含めた対象であるということ。
その「苦」は、現代的な「苦しみ」という意味での「苦」ではなく、「事実」という意味での「苦」なのです。

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コメント

「愛憎する者と出会う苦しみ」と解釈できるなぁ、
「愛の反対は憎しみではありません。無関心です」.
しみじみです。私の仕事の中で味わってます。

☆tanukiさん おはようございます
味わい…人生のスパイスです^^

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