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2007年4月 1日 (日)

2007年4月のことば

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    死に支度
       いたせいたせと
          桜かな

            小林 一茶

桜以外にも、姿美しい花は数多くあるのに、桜はどうしてこんなにも人々のこころを魅了するのでしょう。
花開くまでが待ち遠しく、一輪一輪の蕾が花開けば、その美しさが集まって、私を包み込む。咲いたかと思えば、春の風雨とともに、潔く舞い散る。風に舞い散る花びらも美しい。この儚さに、人は、桜と人生を重ね合わせる。

散る桜 残る桜も 散る桜
             良寛
良寛さんの辞世の句と言われています。 散らずに残っている桜も、やがては散ってしまいます。いのちあるもの、いつか必ずいのち尽きる。諸行無常を詠んでいます。
「死に支度」と掲示してあって、どのように感じられましたか?「死ぬための支度」と受け止めた人は、嫌な気分がしたことでしょう。
諸行無常とは、うつろいゆくこと。うつろいゆくいのちを、どのように生きるのか。 「死に支度」とは、「あなた、どのように生きますか?」という問いかけなのです。

あすありと思う心のあだ桜
夜半に嵐のふかぬものかは

               親鸞
親鸞聖人が詠まれたと言い伝えられています。聖人9歳のとき、得度(出家)のため京都青蓮院を訪ねます。青蓮院の慈円和尚は言います。
「出家の意思は見上げたものです。しかし、9歳で出家はまだ早い。もう数年経って、気持ちに変わりがなければ、そのときに出家しても遅くはないであろう」
そのときに聖人は先の句を詠まれました。
「今は美しく咲き誇っている桜も、この夜半に嵐が吹いてしまえば、瞬く間に散ってしまいます(明日があると思っていては、人生を無駄にしてしまいます)」と。
聖人の想いを受け止めた慈円和尚は、その日のうちに得度式を執り行いました。
「明日がある」「まだ早い」「いつでも出来る」。そのように思って、きちんと物事を成したことはありますか? いつの間にか時間が過ぎてしまったこと、時間の余裕があるときにやっておけばよかったと後悔したことはありませんか?
日々の生活、忙しさに流されています。しかし、「忙しい」とは、何もしていないことの裏返し。今、なにか私に残っていますか?
忙しさの中、仏法に聴聞しましょう。仏さまのお話に耳を傾ける。そして仏法聴聞の仲間と、人生をともに歩む。

今年は暖冬だったため、桜の開花が例年より早まると予想されていました。しかし、開花はほぼ例年通りでした。
早まると予想された開花がなぜ遅れたのか。桜は、暖かさのみによって開花するのではありません。咲く前に厳しい寒さが必要なのです。厳しい寒さがあるからこそ、そこに開花という目覚めがあるのです。
仏法聴聞もそうです。「いい話だった」「分かりやすい話だった」「面白い話だった」なんてものではないのです。仏法は、私を映し出す鏡。見たくないのです。つらいのです。厳しいのです。出来ることなら、ふれられたくないところを突いてくるのです。でも、突かれることによって、この私が目覚めるのです。
桜が寒さによって咲くように、私も仏法によって目覚めるのです。
仏法聴聞しなくても、生活はできます。しかし、仏法聴聞すれば、生きることができるのです。
桜が人のこころを打つのは、美しさと儚さのためだけではありません。厳しい寒さを経た、目覚めの姿だからなのです。
誰にでも哀しさ・つらさ・悩み・苦しみがあります。そして、そこから逃げようとしてしまいます。なかったことにしようとしてしまいます。
逃げてもいい。なかったことにしようとしてもかまわない。でも、苦しみも含めて私なのです。仏法は、苦しみを消してくれるのではありません。私の歩みを、すべて照らし出してくださるのです。
私の歩みが照らし出されることがない人生は、誰も見向きもしない名もなき花のようなもの。仏法聴聞し、桜のように人生に花開く。
「死に支度」とは、「仏法聴聞」ということ。
 
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