わかっちゃいるけど
植木等さんが亡くなられました。
植木さんは真宗大谷派のお寺の生まれです。
青島幸雄さん作詞の「スーダラ節」を歌うことになったとき、植木さんは悩まれたそうです。自分のやりたい音楽の方向性と違う、と。
で、お父様である住職に相談すると、この歌詞を見て「これこそ親鸞聖人が言おうとされていたことではないか!!」と驚かれたそうです。
わかっちゃいるけど やめられない
これこそ人間の本質であると。
住職の感動を受けて、植木さんは「スーダラ節」を歌うことを決意されました。
タバコや酒、塩分の摂りすぎ、体に悪いと言われても、なかなかやめられない。悪い習慣ほど、よく身につく。
「してはいけないこと」と分かってはいるんだけど、やめられない。ましてや、周りの人がしていると、自分もやってもかまわないだろうと、開き直る。
「これで最後、これで最後」と言いながらも、いつまでもやめられないことがある。このままじゃいけないと、分かってる。本当に分かってるんだけど、そこから抜け出せない。今のままでもなんとかなってるから。気付いたときには遅かったりする。
自分が上に立って人を諭すようでは、誰も聞いてはくれません。それなのに、つい偉くあろうとする。人を正そう、人を諭そうとする。自分の姿を振り返ることもなく。
「わかっちゃいるけど やめられない」ことを考えていたら、どんどん出てきます。
親鸞聖人は、それら私の姿を、「いけません」「やめなさい」「ひどいですね」などと言われたのではない。
おそらく、「私もなんですよ」と、平気で言われた方だと思う。惑い、悩み、苦しまれた。その果てで阿弥陀さまに出遇われた。だからこそ、「南無阿弥陀仏」とお念仏称える者を救うという、阿弥陀如来の誓いにふれて、ただお念仏のみをされたのだと思う。「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」
わかっちゃいるけどやめられない私を、阿弥陀如来は救いたいと願われたのです。
やめた方がいいこと、やめなければいけないことは なかなかやめられないのに、
しなければいけないことは まったく続かない私。
そう、「南無阿弥陀仏」というお念仏さえも。
植木 等さん、教え導いていただき、ありがとうございます。
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コメント
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「わかっちゃいるけど やめられな」
ほんと、人間は煩悩ばかり。
だからこそ「南無阿弥陀仏」と唱えることが大切なのかも。
ほんと、なかなか好きなことばかりに生きてしまう自分です。
投稿: たか | 2007年3月28日 (水) 17:59
☆たかさん こんばんは
「お念仏称えることと聞法がやめられないんです!!」
って言えたら格好いいですよねぇ(格好いいのかな?)
投稿: かつ | 2007年3月29日 (木) 03:35
近年はテレビを見ても根っから面白い芸能人は少なくなったように感じます。植木等さんは私が子供の頃にお腹がよじれるくらい笑わせてくれた人でした。「最近見ないなア。見たいな。」と思っていましたが、もう見れなくなってしまいました。
「わかっちゃいるけど」・・・分別
「やめられない」 ・・・宿業
を感じますネ。
投稿: やす | 2007年3月29日 (木) 23:17
☆やすさん こんばんは
青島幸雄さんのご葬儀の時に、鼻にチューブをつけた姿がテレビに映っていたので、からだ悪いのかな?って心配はしていたのです。こんなに早く(という言い方も好きではないのですが)亡くなられるとは、驚きました。
「わかっちゃいるけど」・・・分別
「やめられない」 ・・・宿業
植木さんからの遺言ですね。
投稿: かつ | 2007年3月30日 (金) 19:49