愛を育む
自分の過去に対しては、
そこに自分のしてきたことに対する痛みを知る。
あるいは自分のしてきたことによって周りの人が受けている、
あるいは、
受けたであろう苦しみや悲しみに対して痛みをもつ。
そして、そのことに責任を感ずる。
過去についてまなぶということは、
人間として痛むという感覚と、
人間としての責任を受け止めるという姿勢を学ぶこと。
自分の未来に対しては、
人間としての祈りと
人間としての愛を育むことだ。
平野 修
今日、平野 修先生の選集が届きました。
難しいし、選集は厚いので、つい“つんどく”になってしまうのですが、珍しく読んでいます。
直接にお会いしたことがないのだけど、会いたかった。お話したかった。
「人間としての祈りと人間としての愛を育むことだ」って書いてしまうと、真宗を、机上でしか学んでない人には「キリスト教か?」なんて言われてしまいそうだけど、そうじゃない。
平野先生の本を読んでいると、人に対する愛情にあふれているような気がする。それが、本を読んでいて伝わってくる。
お話に、血が通っているように思える。
それだけに、自分の感想を述べるだけの法話をすることに対して、とても厳しい。
今日の話はよかったとか、面白かったとか、自分の思いに合わせて聞法する姿勢に対しても厳しい。
感想的なところを打ち破って、真宗の世界を明らかにしなければいけないと、つねに願われていた。
愛を育むとは、自分の力だけで生きているのではないということを知ること。
「愛してますよ」と押し売りしたり、「愛されている」と阿弥陀の慈悲を愛に置き換えるのではない。
自分の限界を知るということ。そのことは、誰もが愛を求め、誰もが愛に安らぐ同じ人間だということを知ること。
そういう意味での、愛を育むということを大切にされている。
その思いは、今も続いています。
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