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2007年2月 7日 (水)

キラキラひかる

真の文明ということは、すべてある人びとが福を植えた結果なのである。
   幸田 露伴『努力論』
 
(昨日のつづき)
便利になることは悪いことではないと思う。
「こうならいいのになぁ」「ああなればいいなぁ」という、ちょっとした希望に、努力が注がれた結果、便利になっていくのだから。
つまり、私たちの暮らしが楽になる、便利になるということは、私が知らない誰かさんの「希望・努力」の結晶なのです。目には見えないけれど、キラキラ光っているのです。
そう考えると、日本は特にキラッキラに光っている国なのではないでしょうか。

ところが、目の前にあるもの、生活の中にしみこんだものは、あるのが当たり前になってしまう。
あって当たり前、壊れるなんてもってのほか、「こうなれ」「ああなれ」の贅沢な欲求(欲求と希望は、似て非なるものですね)。

文明の発展は、当然の流れ。そこには、誰かさんの「希望・努力」が溢れている。
その誰かさんは、特定の人のために汗を流したのではないと思う。「みんなが暮らしやすくなるために」の想いに尽きると思う。損得勘定・かけひき・あの人のためであって、あいつのためではない等々、そんな想いが入り込む余地もないことでしょう。

そのように「ある人びとが福を植えた結果」の大地に、今私は立たせていただいている。生かさせていただいている。
そういうことに想いも馳せず、文明を享受しているだけでは、便利と共に、人の情(こころ)もなくしていくことでしょう。「ある人びと」が植えた福を、枯らしてしまうだけでしょう。
キラキラに光っているはずの国が、錆びついているのは、どうしてでしょう?

真の文明とは、福を植えた結果である。
「結果」とは、文明の発展だけを指すのではない。
文明が発展し、その背景にある「希望・努力」に想いを馳せ、ありがたく生かさせていただく人がいてこそ、植えた福が開花したことになるのではないでしょうか。

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