願いの背景
1月は初詣 「家内安全・商売繁盛・合格祈願」
おさい銭 百円玉一ツ
ぽんと投げて手を合わす おねがいごとの多いこと
(相田みつを)
2月は節分 「鬼は~そと~ 福は~うち~」
誰もが幸せを望むもの。「おねがいごと」が多いのも無理はありません。
さぁ、もし「おねがいごと・望み」が叶ったらということを考えてみましょう。
○自分の家だけ安全・平和だったらいいのですか?
○自分の商売だけ繁盛しても、お金は世間を回りません。
○自分が合格するということは他の誰かが合格できないということです。
○出て行った鬼はどこへ行くのでしょう?
他者の不幸を頭に入れて、自分の幸せを望んでいる人はいないでしょうが、そうは言っても、私の願いの背景には、他者を傷つける願いが含まれているのです。怖いことです。願い事をしている時は、周りが見えなくなっているのです。知らないうちに、他者を傷つけているいのです。
他者を傷つける行為を、私たちの持つ「心の闇」と表現します。でも、その闇が、私の中に有ることに気が付いていません。気が付かない、周りが見えない、他人に関心がない。闇の真っ只中にいるのだから、何も見えなくて当然です。自分の内も外も闇です。「外も内も闇~」。
しかし、真っ暗闇だからこそ、光を感じることが出来るのです。そう、仏の慈悲の光を。
« 2007年2月のことば | トップページ | 鬼はうち »
コメント