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2007年2月15日 (木)

陽ざし

東京では、昨日春一番が吹き、今日は暖かな一日となりました(風が強かったですが)。
暖冬とはいえ、やはり冬の暖かさと春の暖かさは違いますね。今朝は水仕事がとても楽でした。
 
昨日の読売新聞朝刊の「編集手帳」に、詩人の伊藤桂一さんの詩が紹介されてました。

     微風
   掌(て)にうける
   早春の
   陽ざしほどの生甲斐(いきがい)でも
   ひとは生きられる

  
春を迎えたとはいえ、まだまだ寒さが続きます。そんな寒さの中、ポケットから出した掌に、春の陽ざしがあたるとき、どれほどの暖かさを感じることでしょう。そんなちょっとした温もりでも、ひとを生かす力となるものです。
どんなに心地よい陽ざしを全身で浴びても、その中にドップリつかっていたら、その心地よさは伝わらない。
どんなに寒く、身震いし、生きる希望を見失っていても、ほんのチョットのぬくもりが、私に生きる力を与えてくれる。そんな、ほんのチョットの生甲斐で、私は生きられる。
 

 
昨日は西蓮寺の聞法会でした。
新聞に関係なく、「阿弥陀さまの光明」についてお話するつもりでした。
  
阿弥陀さまの、衆生を救いたいという光明(願い)は、生きとし生けるものすべてに届いています。でもその光と言うのは、全身で浴びるような光ではなく、伊藤さんの詩にあるような「早春の陽ざしほどの」光明なのかもしれませんね。その陽ざしを浴びているからこそ、「ひとは生きられる」のではないでしょうか。
 
そんなお話をさせていただきました。
 
南無阿弥陀仏と掌を合わす。その合わせた掌に、阿弥陀さまの陽ざしを感じませんか?


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