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2007年1月11日 (木)

空過(くうか)

   一日の空過は
    やがて一生の空過となる

                 金子 大榮

今年のお寺の年賀状で書かせていただいたことばです。
「一日の空過は、やがて一生の空過となる」
けっこう耳にすることばなので、年賀状に注も付けませんでした。しかし、「空過」の意味について教えてくださいと、年賀状が届いた門徒さんからメールをいただきました。

「空過」とは、「空(むな)しく過ぎる」「無駄に過ごす」というような意味です。
「一日を無駄に過ごしていると、やがて一生を無駄に過ごしてしまうことになる」
「いつか手をつけようなどと思っていると、いつまでも実行せずに時が過ぎてしまう」
という意味が込められたことばだと了解しています。

気持ち新たに新年を迎えた方もたくさんいらっしゃると思いますが、そろそろ元の日常に戻ってませんか?
もし何か目標を立てたり、今までの自分じゃダメだって気持ちを入れ替えた方がいらしたら、そういう気持ちは持ち続けていてほしいものです。紙に書いて目に付くところに置いておくだけでも、気持ちが継続しますよ。無理する必要もないですけどね。

一日一日を大切に、とは思うのですが、それがなかなか難しいですね。
育児や仕事に追われたり、せっかくの休みも寝て過ごしてしまったり、何もやる気が起きずにボッーと過ごしてしまったり…。
あれ!! でも、空過でない過ごし方ってどんなんでしょうね?
空過でない過ごし方が、果たして育児・仕事・趣味などに没頭して充実した日々を過ごすことでしょうか? 「充実した日々=空過でない日々」というわけではないと思います。

空過かそうでないかは、お念仏の有無が問われているのではないでしょうか。
たとえ育児や仕事に追われたり、せっかくの休みも寝て過ごしてしまったり、何もやる気が起きずにボッーと過ごしてしまったとしても、そこに南無阿弥陀仏のお念仏称える生活をしている者は、空過ではない。
たとえ、育児・仕事・趣味などに生き甲斐を感じながら生活していたとしても、そこに念仏がなかったら、どこか空しいものである。
人生を阿弥陀さんと共に歩んでいるか。そのことが空過かそうでないかの分かれ目なのかもしれません。
   
  本願力にあひぬれば
  むなしくすぐるひとぞなき
  功徳の宝海みちみちて
  煩悩の濁水へだてなし

              親鸞聖人「天親和讃」

阿弥陀さまの「衆生をすくいたい」という願いを胸に生きるものは、空しく過ごす人はいない。
阿弥陀さまの慈悲のこころが海のように満ち満ちて、煩悩で汚れ濁った私のようなものまでも隔てることなく、すくいとってくださいます。
 
  
「空過」ということば、特に仏教語だという意識もなく、普通に使われることばと思っていたので、注が必要だとも思いつきませんでした。辞書で調べても載ってないのですね。初めて知りました。
せっかくのことばが、伝わらなかったかもしれません。メールをくださった門徒さん以外にも、「?」と思った門徒さんがいらっしゃるかもしれませんね。申し訳ありませんでした。

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コメント

「空過」。「受け難き人身を受けた」ことが「台無し」ですね。「出世の本懐」を遂げさせていただくことが「無空過」で「人と成る」でしょう。

☆やすさん こんばんは
「出世の本懐」を遂げさせていただくことが「無空過」で「人と成る」でしょう。

なるほど、まさに“成人”ですね。
法って、つながってるものですね。
(そこまで考えてなかったので、ちょっと感動!!)

空過を検索していたら、貴HPに着きました。「空過」のページ拙寺HP「樹徳寺」念仏実感日記に使わせていただきました。今後ともよろしくお願い申し上げます

☆二上 久様
はじめまして。以前、たまたまHPにお邪魔したことがあります。毎日更新されている日記に驚きました。
「空過」…どうぞお使いください。他にもございましたら、どうぞお使いください。
これからもHPにお邪魔させていただきます。よろしくお願い致します。

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