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2007年1月26日 (金)

分母の拡大

『悲しい記憶も、時がたてば忘れることができる』と、よく言われる。
時間は記憶の吸い取り紙だという主張だが、
私はこの説を信じていない。
むしろ、忘れたい、忘れたいと思うことに限って、
長年の風雪に耐え、
ますます頭から離れなくなるものである。
むしろ、私は、こう考える。
体験の量を増やし、記憶の分母を拡大することにより、
相対的に悲しい記憶の声量を
弱めることができるのだ、と。
どうも人間は、時間という要素を
過大評価しすぎる傾向があるように思う。

              晴山 陽一『すごい言葉』
  
 
昨日の文章で、「経験は感動するこころを無くさせる。だからこそ“いつもはだか”でいたいですね」というようなことを書きました。
でも、経験は積み重なっていくもの。捨てることはできない。どんなに忘れたい記憶も、いや、忘れたい記憶ほど私のこころに残ってしまう。忘れようとすればするほどに。
経験・体験を増やすということは、分母の拡大(今回、経験と体験の違いは気にしないでください)。経験・体験の量を増やすということは、記憶する内容を増やすということ。記憶する内容が増えれば、ひとつひとつの出来事が、私の心を占める量は少なくなる。
経験が感動するこころを薄れさせてしまう面もあるけれど、経験が悲しい記憶を、こころからの叫びの声量を弱めてくれるという面もある。
小中学生の自殺が増えている背景には、体験の量が少ない、分母が小さいということも関係しているのかもしれない(現実には男性中高年の自殺が多いのですが、マスコミの報道の仕方が偏っているので、小中学生の自殺ばかりがクローズアップされてしまう)。
例えば、“いじめ”というひとつの事象が起これば、それが自分の生活のほとんどを占めてしまう。学校以外の社会を持っていれば、他の方向に想いを向けられるけど、そうもいかないのだろう。家庭や塾が、自分の経験値を増やす場になっているとは、とうてい思えない。
ひきこもってしまっても、体験の量は増えない。

経験・体験の量を増やし、分母の拡大をすることも生きる術なのかもしれない。なんとなく思い当たります。
だからこそ、どんなに悲しい出来事があっても、生きられる。時間が解決してくれるのではないのですね。時間が解決してくれるのだとばかり思っていました。
私の想いや状況に関係なく、世の中はどんどんどんどん進んでいる。私も、その流れの中で生かされる。流れを生きるうちに、またいろいろな想いが湧いてくる。生きていれば、感動がポツリポツリと出てくる。
感動って、自分で意識することではないんだ。不意に訪れる、サプライズなんだなぁ。
昨日の文章だと、「生きていることを実感するために感動しましょう」みたいに読めてしまうけれど、「生きるということは感動の集まり」なんだなぁ。

時の経過が、物事を忘れさせるのではない。
時の経過が、人生に幅や深みを持たせてくれる。

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コメント

些細なことも経験。
これが重なって自分の人生や価値観がなりたっているんだなぁー と実感。
先日、誕生日を迎えて大切な出会いや、サプライズに期待にワクワクしながら明日も。

☆たかさん こんばんは
お誕生日だったのですか!! おめでとうございます。
今日も、明日も、あさっても、同じようでいていつも違う毎日。そのことこそサプライズかも!!

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