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2007年1月 6日 (土)

あったか~い

今日は朝から雨。しかも雨足が弱まりませんね。勢いが弱まらずにこれだけ降り続くのも珍しい気がします。当然のことながら、とても寒いです。
  
昨日、住職と坊守は京都の本山にお参りに行きました。私はお留守番。
で、今朝は私が寺の門や玄関を開けたりといった作業をしなければなりません(普段は坊守がしてくれてます)。

今朝は特に寒かったですね。起きて、居間の暖房をスイッチオン。それから門やガレージや扉開けなどの作業に取り掛かります。ところが、ひと通り作業を終えてから居間に戻っても、部屋が暖かくないのです。
いつもは、朝起きて居間に来ると、熱いほどに部屋が暖めてあって、「温度上げすぎじゃない?」なんて思うのですが、設定温度を変えてもいないのに、寒い寒い。今朝、暖房が効かないほど寒かったのでもなく、暖房が壊れたわけでもありません。
 
で、思ったのです。
普段、私は既に暖められた居間に、寝ぼけ眼で入ってくるわけです。布団から出てそんなに時間も経っておらず、体も温いのです。だから、熱いほどに暖かく感じるわけです。
でも今朝は、寒い中ひと通り毎朝の作業をこなして、冷えた体で暖まり中の居間に戻ってきたわけです。
暖房を同じ温度に設定してあっても、たとえいつもと同じ温度に部屋が暖まっていたとしても、寒いわけです。
毎朝坊守はそんな思いをして作業をしてくれてたんだなぁ。感謝感謝です。
 
同じ温もりの中にいても、「寒い」と感じたり、「熱い」と感じたり…。
 
人は、誰もが阿弥陀仏の慈悲に包まれて生きています。でも、その中にいると、慈悲のぬくもりを忘れたり、慈悲の温もりに気付くことなく過ごしてしまいます。
かといって、温もりの外に出ることも出来ません。阿弥陀仏は、誰であろうと、いついかなる時であろうと、私を包んでいてくださるのですから、その外に出ることは出来ないのです。
それに、「一度出てみよう」なんて思えるということは、すでに慈悲の温もりを感じている人が出来ることですから。
   


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コメント

ついつい当たり前の様な毎日。
でも、阿弥陀様のなかにいることはなかなか意識していません。意識しないでも、常にその慈悲の中で暮らしてる。
当たり前すぎると忘れがちなもの。
それだけ幸せなのかもしれません。

☆たかさん こんばんは
幸せって、欲望が叶うことではなくて、当たり前のことを有り難く感じられることなのかもしれませんね。
10日、お待ちしています(b^ー゚)

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