« 念ずれば花ひらく | トップページ | これから »

2006年12月15日 (金)

手を合わせる

    手を合わせる   坂村 真民
  手を合わせる
  手を合わすれば
  憎む心もとけてゆき
  離れた心も結ばれる
  まるいおむすび
  まるいもち
  両手合わせて作ったものは
  人の心をまるくする
  両手合わせて拝んでゆこう
  手を合わすれば
  重い心も軽くなり
  濁った心も澄んでくる
  生かされ生きて花薫る
  楽しい世界にしてゆこう
  二度とこないこの人生を

   
  
まるいおむすび・まるいもち
まるいものが作れるのって、テクニックではなくて、私の中にまるいこころがあるから。
それなら、まるい和もつくれないかなぁ。まるい地球も作れないかなぁ。

怒りを感じたそのときに、スッと一息、手を合わせてみよう。
 「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」
「南無阿弥陀仏」とお念仏称えたその後に、「テメェ、ふざけんな!!」なんてセリフは出ないから。言えないから。
私がこころ静めるのではない。自然とこころが静まる。
 
手を合わせるって、すごいこと。
合わさるはずのない私の手が、自然と合わさるのだから。
握りこぶしは合わさらないけれど、手のひらどうしは、ピタッと合わさる。
頑なな私のこころを、解き放ってくれるはたらきがある。それが阿弥陀さま。
そのはたらきの中を生かされている。だから、手が合わさる。

« 念ずれば花ひらく | トップページ | これから »

コメント

手おあわえて「南無阿弥陀仏」と唱える。
すーと、心が穏やかな。

手はいろんなことができるけど、「合わせる」のはつながるのですね。右と左、ひとつになって無心になれました。

今日は良い天気ですね。

☆たかさん こんにちは
ほんと、いい天気ですね^^
こころ穏やかに、出かけたい気分です♪

かつさん こんばんは というか おはようございますというか・・

あるヒトの子供を見るだけで あるヒトにされたことを思い出し その子まで 見たくないと思ってしまった昨日

心の中の憎しみが 消えたはずの火が まだくずぶっていて 時々急に大きくなり どうしようもなくなります

もう昔の そう一年も前のことなのに
裏切られていたことがくすぶります

裏切ったことを 私が気付いていないと思っていることがたまらなくなります

もういいはずなのに

それでもそこにそのヒトがいるから 思い出してしまいます

傷つけ返したいと思ってしまいます

許されるべき過ちは たくさんたくさんもっている私なのに あのヒトのあのことが許せず苦しいです

☆美雨さん お久しぶりです^^

許すということは難しい。
しかし、許すとなったら限度はない。
ここまでは許すが、
ここから先は許せないということがあれば、
それははじめから許していないのだ
  山本周五郎「ちくしょう谷」より

私の好きなことばです。
このことばが好きと言うことは、
いつも、いつまでも「許す」ということができないから。
いや、人を「許していない」からなのかも。
私も、憎しみの火がこころの奥底でくすぶっています。いつも、いつまでも。


かつさん ありがとうございます

同調してただいたことで 少し 心が温かくなりました
許すことで あのヒトに勝つ そんな風にしか思えない その時点で勝負で言うなら負けですね

あぁ ちっぽけすぎて

山本周五郎さんのそのことば わたしも好きです
何冊か本も読みました はるかむかし

☆美雨さん こんにちは
今、東京は雨が降ってます。そちらはいかがですか?
勝ち負けと言っても、何が勝ちで何が負けなんでしょうね。ハッキリしているようで、ものすごくあやふやなものです。

私の想いに関係なく、気候は変化しています。
私が立ち止まっていても、地球は回っています。

 

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 念ずれば花ひらく | トップページ | これから »

フォト
2019年11月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ