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2006年12月24日 (日)

聖夜に想う

世間はクリスマスですね。クリスマスを「聖夜」とも書きます。

「聖」という字、「聖夜」とか「聖人君子」「神聖な」という使い方をするので、とても貴くて、清らかで、厳かな雰囲気を表わしているような気がします。
浄土真宗では宗祖 親鸞(しんらん)に「聖人(しょうにん)」と付けて呼びます。「親鸞聖人」と。お坊さんを「しょうにん」と呼ぶ場合、「上人」が一般に使われますが、親鸞しょうにんの場合は「聖人」です。

「聖人」と「上人」
先に書いたように「聖」の字に貴いイメージがあるから、浄土真宗では「親鸞上人」ではなく、「親鸞聖人」と書くのだろうと思われがちです。自分とこの宗祖だから「聖人」と。

お坊さんになるのにも資格が必要です。その資格を取ったお坊さんのことを、律令国家の名残で「上人」と言います。
だから、「親鸞上人」でも間違いではないのです。
「聖人」と言う場合、比叡山を離れ、あちらこちらを旅して回り、民衆の中に交わり、民衆に向けて仏教を広めていた僧侶を「聖人」と言います。「聖」は「ひじり」とも読みます。「ひじり」とは、そのように、民衆に向けて仏教を説き広めるお坊さんのことを指します。

20年間修行した比叡山を下りた親鸞は、法然に出遇います。法然は民衆に向けて念仏の教えを語られていました。その法然の姿に、仏教者としてあるべき姿を見た親鸞は、自身も法然の教えを受けます。
だから、「法然聖人」でも間違いではないのです。
親鸞聖人の著作では、法然は「法然聖人」と書き表されています。
 
時代を経て、「聖人」と「上人」の書き分けがされてきました。
江戸末期から明治頃に、親鸞を「聖人」、それ以外の僧侶を「上人」と書き分ける慣習となったらしいです。浄土真宗では。

「聖人」と「上人」
どっちが上とか下とか、比較するものではありません。厳密に違いがあるわけでもありません。
しかし、民衆に向けて仏教を説かれていた法然聖人と、自身も「法然聖人」と同じ歩みを踏み出そうと決意された親鸞聖人がいらっしゃらなかったら、「南無阿弥陀仏と念仏申す衆生を救う」という阿弥陀如来の教えは、私たちに届くことはなかったことでしょう。
「ひじり」の歩みが、時を越え、今の私に伝わっています。

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