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2006年12月11日 (月)

今、いのちがわたしを生きている

仏陀の教えを伝えたい。その一心で仏教を学んでいた僧侶がいます。名を曇鸞〔どんらん…今から千五百年ほど前の中国の僧〕と言います。

曇鸞は、仏教を広めるために、インドの言葉を中国語に訳す翻訳の仕事に取り掛かります。
曇鸞は数ある経典の中から『大集経(だいじっきょう)』を選び、翻訳を始めました。しかし、お仕事も半ばにさしかかった頃、病気にかかってしまいます。このままでは翻訳を完成させることが出来ません。
そこで曇鸞は、不老長寿の教えが説かれている道教(中国の教え)の経典である「仙教」を手に入れます。「これで長命を保ち、経典の翻訳を全うできる」と、曇鸞は喜びました。
その喜びを、インド出身の菩提流支(ぼだいるし)に伝え、そして言います。
「仙経ほど優れた、不老長寿について書かれた経典は、インドにもないことでしょう」
菩提流支は言います。
「不老長寿の教えなど、どこにもあるわけはない。自身が長生きするためだけの教えを頼りとしたところで、結局は煩悩に振り回されながら長生きするだけのこと。そのようにして仏教を学んだところで、さとりを得るということはないであろう」
そう言うと、『観無量寿経』という経典を曇鸞に授けられました。『観無量寿経』には、「かぎりないいのち」の教えが説かれています。個人の肉体としてのいのちが限りないというのではありません。たとえ肉体は滅びても、教えを聞いて生きる人がいる限り、教えが受け継がれていく。そのような意味での限りないいのちです。私に届いている教えは、限りないいのちを通してのものです。

菩提琉支の言葉を聞いた曇鸞は、自分の思い違いに気付かされ、苦労して手に入れられた「仙経」を焼き捨てられました。
その後曇鸞は、菩提流支が翻訳されたばかりの『浄土論』という書物に注釈をつけるお仕事を始められます。『浄土論』には、誰もが実践できる教え、念仏往生の教えが説かれています。念仏往生の教えに出会えた喜びを胸に、注釈を書かれたことでしょう。

仏教に出会い、その感動を、その教えを人々に伝えたいと志を立てた人でさえも、不老長寿という誘惑に飲み込まれてしまいます。
感動をみんなに伝えたい。初めは一心にその想いだけだったことでしょう。
それが、続けていくうちに「もっとみんなに伝えたい」「どうしてみんなに感動が伝わらないんだろう」「みんなもっと仏教に興味を持って欲しい」「やらなければいけないことが沢山あるのに、時間が足りなすぎる」と思ってしまう。
まっすぐな想いゆえ、挫折やあせりを感じ、切なくなり、愚痴も出る。誘惑に飲み込まれた曇鸞を誰が笑うことができましょう。

浄土真宗のお勤め「正信偈」も、親鸞聖人が南無阿弥陀仏の教えに出会えた感動を書き綴ったものです。
仏教に、念仏の教えに、念仏の教えを伝えてくださった先達方に出会えた感動でいっぱいです。
そこには、教化しようという計算はありません。ただひたすら感動を、喜びを表現されました。

「正信偈」は毎日のお勤めなので、暗記しています。なので、本を見ずに読んでしまいます。でも、最近「正信偈」を読むとき、本を見るようにしています。親鸞聖人が書き記されたものを見ながらお勤めをしていると、聖人の喜びが伝わってくるような気がするのです。
出会ったときの感動をいつまでも忘れずにいたいものです。

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コメント

ほんと、出会った時の感動を忘れないようにしたいです。

このホームページに出会ったのも偶然で、でも、そのように阿弥陀様に引き寄せられたのかも知れません。

それを今日も忘れないように。。。

☆たかさん こんばんは
こちらこそ、お会いできて、うれしく思います。
人と出遇うとき、阿弥陀様のはたらきを感じます。
そういう感動・こころの動きを大切にしたいです。いつまでも忘れないように。
いつもありがとうございます。
 

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