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2006年11月29日 (水)

宗祖を憶ふ

昔、法師あり
親鸞と名づく
殿上(でんじょう)に生れて庶民の心あり
貪道となりて高貴の性を失わず

已(すで)にして愛欲の断ち難きを知り
俗に帰れども道心を捨てず
一生凡夫にして
大涅槃の終りを期す

人間を懐かしみつつ人になじむ能わず
名利の空(くう)なるを知りて離れ得ざるを悲しむ
流浪の生涯に常楽の郷里を慕い
孤独の淋しさに萬人の悩みを思ふ

聖教を披(ひら)くも 文字を見ず
ただ言葉のひびきをきく
正法を説けども 師弟を言はず
ひとへに同朋の縁をよろこぶ

本願を仰いでは
身の善悪をかへりみず
念仏に親しんでは
自(おのず)から無碍の一道を知る

人に知られざるを憂えず
ただ世を汚さんことを恐る
己身(こしん)の罪障(ざいしょう)に徹して
一切群生の救いを願ふ

その人逝きて数世紀
長(とこし)へに死せるが如し
その人去りて七百年
いまなほ生けるが如し

その人を憶(おも)いてわれは生き
その人を忘れてわれは迷う
曠劫多生(こうごうたしょう)の縁
よろこびつくることなし
  
          
   
金子大榮師の「宗祖を憶ふ」
親鸞聖人の生き様を詠われています。

聖教を披くも、文字を見ず
ただ言葉のひびきをきく

言葉にばかり気を取られ、言葉のひびきを聞いてきただろうか。耳を澄ませてきただろうか。
親鸞聖人を抜きに言葉に出会っても、われは迷うばかりである。
そんな私が嬉しいとき、哀しいとき、いつも横にいてくれるのが親鸞聖人。
今も私と共に生きていてくださる。

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コメント

本日の金子大栄先生のお言葉、初めて聞かせていただきました。お念仏をいただけば、親鸞聖人も、七高僧の方々も、そして法蔵菩薩様も、ちゃーんと側にいらしていただけるのですね。サンガを感じます。

☆やすさん こんばんは
金子先生の言葉、初めてでした?
と言う私も、よそのお寺のご住職が読まれるのを聞いて、久しぶりに手にとってみました。

今、親鸞聖人はいらっしゃる。

そうなんですね。
おそばに居る自分。
恥ずかしくない生き方をせねば。

あ、出張先の京都で数珠をはじめて求めました。
一歩、前進。かなぁ。

☆たかさん こんにちは
京都ですか、いいですねぇ。
実は、今頃まで紅葉が見ごろだったりします。
人の波がひいて、静かに見られますよ。
でも、出張では無理ですかね^^
 
お数珠、私も京都に行ったら買ってきてしまいます。
アクセサリーは身につけないのですが、腕輪念珠を洋服に合わせて身につけてます。

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