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2006年11月 8日 (水)

バランス

親・先生・上司・知事・政治家などなど、上に立つ人の意見・支持・考えは絶対だった。逆らえないものだった。
そのことが持つ恐ろしさはある。
そのことがいいことだとは言い切れない。
しかし、上に立つ者の意見が絶対ということは、上に立つ者は自分の発言・考え・行動に責任を持つということになる。

今、人が上に立つことが許されない。
肩書き上、上に立つ人はいるけれど、その人の発言は絶対視されない。
人は皆平等だから?
同じ地平に立って、みなが責任を持とうというのならまだしも、責任の分散化・曖昧化・押し付け合い。
結果、上に立つ人間に、上に立つだけの責任感が湧かなくしているから、意見も考えも行動も曖昧化。
何かあったときだけ、あなた先生でしょ、親でしょ、上司でしょ。
 
普段から敬い奉らないでいて、行動に責任感が伴うわけがない。
「敬い奉る」…恐ろしい表現ですね。今まで、敬い奉られる立場にあった人々が、その立場にふんぞり返っていたから、今日の状況・状態になったのですが。
 
敬い奉る方は、心底頼りにしている。信じている。だから、手伝う。後からついていく。
敬い奉られる方は、その想いに応えるべく行動する。どうすれば最善かを常に考える。プロデュースする。
   
自分の上に人が立つことを許さない。今風に言えば「平等」。
「平等」はバランスが取れているようだけど、今の「平等」は、天秤の真ん中部分にみんなが集まったようなもの。バランスがとれているとかいないとか言う以前の問題。
上に立つ人間とその他の人間、双方が天秤の両方のお皿に乗っていて、それでいてバランスが取れてこそ「平等」。
上に立つ人間の驕りで重たくなってもいけない。下にいる人間の数の多さで重たくなってもいけない。
上に立つ人間は、数は少ないけれど、大きな責任感・行動力・思いやりを持つ。片方の天秤のお皿に乗っている、人々の期待に応えるだけの。
その他の人間は、力は弱いけれど、信じる・任せる・ついていく信念を持つ。片方の天秤のお皿に乗っている、上に立つ人間が命がけで物事を為そうという力が出るほどの。

そのバランスが、今、大きく崩れている。
  
でも、天秤のバランスが取れている唯一の関係が阿弥陀さまと十方衆生。

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コメント

先日の「報恩講法要」は家を出る間際に目眩が起き始めて、大変失礼ながら急に欠席させていただきました。本日の「聞法会」は、母が腰を強打して一人ではトイレへも立てなくなってしまい、またまた欠席となってしまいました。聞法会へ行くにも、諸縁が満たないと行けないことを身をもって感じています。阿弥陀様とのバランスが崩れ始めているのか? せめて家で「お聖教」や曽我・安田先生の著作を聞かせていただきます。

☆まつさん おはようございます
寺の者一同心配しておりました。このようにコメントいただけるということは、体調落ち着かれたこととお察しいたします。でも、今度はお母様とのこと。どうぞお大事に養生してください。

聞法会に行く縁がなかったのではなくて、それ以外の縁があったということ。それぞれに意味があってのこと。では、その縁は私になにを訴えているのか。
なんて思います。
阿弥陀様とのバランスは崩れませんよ^^

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