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2006年10月12日 (木)

花のある生活

以前、お内仏(お仏壇)に供えるお花について書きました(こちら)。その際、お墓に供えるお花についても書きました。

お墓の花立に花を挿し、手を合わせ、お参りする。そしてそのまま帰ります。
でも、そのお花を家に持って帰って飾るのが、元々の習慣なんです。とはいっても、村の中に寺があって、誰もが歩いて寺にお参りするような環境での習慣ですけどね。
「お花を私の方に向けて挿すのは、亡き人から私へ向けられているんです」と書きましたが、家に持って帰って飾るということも、そういうことを含んでいるのかもしれません。

前の文章で、花を見て いのち を感じたと書きましたが、
お墓参りのためにお花を手にする、それを家に持って帰って飾るというのは、やはりそこに何かを感じて欲しいという亡き人からの呼びかけがあるのではないでしょうか。

お墓参りの際、墓石だけではなく、手にしたお花と向き合ってみてください。なにも感じないかもしれないけれど、何か感じるかもしれません。人それぞれ。
  
  
(おまけ)
お墓にお供えしたお供物は持ち帰っていただいてます。ずっとお願いし続けてきたので、今ではみなさん持ち帰ってくださるのですが、一件だけ、ご丁寧にたくさん供えてそのまま置いていく方がいます。
供えて帰るまでは、その方が墓前にいるわけだから きれいに供わっています。でも、人の気配がなくなると、すかさずカラスが食べ散らかしに来ます。お墓を離れてから30分ほどしてから戻ってみてください。きれいに掃除したお墓が、お供えでグチャグチャになってますから。そのお墓だけが汚れるのならまだしも、周りのお墓にも被害が及びます。どうかお供え物はお持ち帰りください。

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コメント

侘びぬれば 花も紅葉も無かりけり
          ただ月影の 夜半の庵かな
                
                      (自作)


わびぬれば 如来大悲の恩徳は
  みをつくしても  南無とぞ称ふ
              (かつ作)

世を秋(飽き)の  枯れ草の身の雫だに
              月影宿る  南無ぞ得難き

こんにちは~、かつさん。
昨日、友人とお墓参りの約束をしました。
昨年はお盆前に行ったのですが、今年は命日前に行くことになりました。
以前の「お花を私の方に向けて挿すのは、亡き人から私へ向けられているんです」のことば、教えてくださってありがとうございます。
そう思って、会いに行ってきたいと思います。

月かげの いたらぬ里は なけれども
  親鸞一人 ためにありけり

☆riyoさん こんばんは
お墓参りの約束いいですね^^ 私もご一緒したいです。

『「お花を私の方に向けて挿すのは、亡き人から私へ向けられているんです」のことば、教えてくださってありがとうございます』
 こちらこそ、ありがとうございます。
 ブログ読んでくださっている方がいるんだなぁって、うれしく思います。

「そう思って、会いに行ってきたいと思います」
行ってらっしゃいませ ^^/

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