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2006年10月19日 (木)

想いは形となって表われる

仕事が全然片付きません。机の上が書類や本でごった返しています。まったく手につかないし、はかどらない。勢いよく仕事をこなせる時もあれば、葉書一枚すら書けないときもある。なぜこんなにムラがあるのだろう。
ブツブツ言いながら、やらなければいけないことを書き出す。あぁ、こんなにあるのか。当分手につきそうにない…。
 
    
数年前(かなり前)、寺の掲示板に、
あぐらをかいて字を書けば、字もあぐらをかく
と掲示したことがあります。

後で分かったことなのですが、このことばを掲示してあるときに、作家の阿川弘之さんが法事で西蓮寺をお参りされたそうなのです。
普段、寺の掲示板のことばなど説教くさくて嫌だと気にも留めない氏も、このことばには、おやと足を止めたのでした。
氏は、原稿を書くのは気にならないけれど、葉書便箋などを書くときは、自分の字が嫌で筆が進まないそうなのです。で、ギリギリ書かなければいけなくなってから、嫌々書き始める。パジャマを着たまま^^

掲示板のことばを見て、
「パジャマを着て字を書けば、字もパジャマを着るということだなぁ」と感じられたのでした。
(このような感想を、ある雑誌の連載コラムに書かれていて、それを見つけた門徒さんに教えていただいたのでした)     
   
       
嫌々やっていると、やったことのすべてに嫌々な雰囲気が染み付いてしまう。
ダラダラやっていると、やったことのすべてにダラダラ感が染み付いてしまう。
形は整っていたとしても、そんなに嫌ならもう頼まないよと愛想尽かされることでしょう。
   
生き生きとこなしたことからは、生き生きとした躍動感が伝わってくる。
楽しんでやったことからは、喜びが伝わってくる。   
やった内容がいまいちでも、次もまた任せようと思われることでしょう。
   
仕事でも 付き合いでも 遊びでも、どうせやるなら、楽しみながらしたいですね。私がやったことで、誰かが喜んでくれたら、私もまたうれしい。   
あっ、パジャマを着たままブログを書いてました^^;

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コメント

「想い」は形が無いが、形となって表れる。「法身は無相なるが故に、よく相ならざるは無し」を思い起こしました。「願」が「名号」となって顕われる。

☆やすさん こんばんは
「願」が「名号」となって顕われる。
そっか、こんなに大切な想いが形となって表われていたんですよね!!
阿弥陀さんはどこにいる? 
念仏称える私の前にいらっしゃいました、ですね。

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