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2006年10月30日 (月)

そろそろ鍋の季節ですね

小さい子は、人参やピーマンが嫌い。
それは、にがい えぐいと感じるから。好き嫌いしているわけではなくて、ホントに食べられないのです。
ましてや春菊やパクチーなんて美味しいとも思わないことでしょう(「パクチーが好きなんだ!!」っていう子がいたら、ちょっとヤダけど^^)。

でも、大きくなるといろいろなものが食べられるようになりますよね。子供の頃は嫌いだったものが。
「にがい えぐい、なんだこれ!! こんなもの食べられない」から「にがい えぐい、これが美味しいんだよね♪」って変わるから不思議。それは、いろいろなものを口にすることによって、味覚が広がっていくから。ひと言で「美味しい」といっても、いろいろな美味しさがある。そのいろいろが味わえるから、食べることって元気を与えてくれる。どんなに落ち込んでいるときでも、お腹はすいてくる。食べると、ちょっとずつでも元気が出てくるから不思議。

いろいろなものを口にしているうちに、味覚はだんだんと膨らみ、広がり、深みが出てくる。
でも、今は自分の好きなものしか食べない子が増えているとのこと。
あるいは、「好き嫌いはいけない」と無理矢理食べさせられる。
それでは食べることが苦痛になってしまうし、楽しみでもなくなってしまう。
いろいろなものを口にする機会を失うということは、味覚が広がる機会を失うということ。
食べることを楽しいことと感じられなくなったら、「お米には八十八の苦労がかけられているんだよ」なんてお話に耳を傾ける気すら起きないことでしょう。
 
元気を与えてくれる、立ち直るきっかけを与えてくれる「食べる」ということを楽しいと感じられなくなったら…、いや、もう感じられないのかも。
感じられないから、ちょっとしたことで凹んでしまい、立ち直れないのかも。
感じられないから、食べ物を粗末にしてしまうのだろう。

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