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2006年10月

2006年10月31日 (火)

五感フル稼働

10月27日の白骨の会(西蓮寺仏教青年会)で、「最近の子は味覚が乏しい」という話題になりました(本題とは違うんですけどね^^)。その話をもとに、昨日の記事を書きました。今日はその話題から思ったことを書きます。

で、味覚だけじゃなくて、人との付き合いも同じだなぁって感じたのです。
嫌いだから、苦手だから、うざいから人と話をしないっていうんじゃぁ、自身の、人間としての幅も広がらないと思うのです。物事を受け容れる度量とか、物事を考える尺度とかも、ちっちゃくて狭いものになってしまう。
広がったからよくて、広がらないからダメってことではないけれど、もったいないなぁって思います。

たとえ口にしても、嫌いな食べ物は嫌いなままかもしれない。
たとえお話をしても、嫌いな人は嫌いなままかもしれない。
でも、食べてみたら美味しいかもしれない。
話してみたら意気投合するかもしれない。

2006年10月30日 (月)

そろそろ鍋の季節ですね

小さい子は、人参やピーマンが嫌い。
それは、にがい えぐいと感じるから。好き嫌いしているわけではなくて、ホントに食べられないのです。
ましてや春菊やパクチーなんて美味しいとも思わないことでしょう(「パクチーが好きなんだ!!」っていう子がいたら、ちょっとヤダけど^^)。

でも、大きくなるといろいろなものが食べられるようになりますよね。子供の頃は嫌いだったものが。
「にがい えぐい、なんだこれ!! こんなもの食べられない」から「にがい えぐい、これが美味しいんだよね♪」って変わるから不思議。それは、いろいろなものを口にすることによって、味覚が広がっていくから。ひと言で「美味しい」といっても、いろいろな美味しさがある。そのいろいろが味わえるから、食べることって元気を与えてくれる。どんなに落ち込んでいるときでも、お腹はすいてくる。食べると、ちょっとずつでも元気が出てくるから不思議。

いろいろなものを口にしているうちに、味覚はだんだんと膨らみ、広がり、深みが出てくる。
でも、今は自分の好きなものしか食べない子が増えているとのこと。
あるいは、「好き嫌いはいけない」と無理矢理食べさせられる。
それでは食べることが苦痛になってしまうし、楽しみでもなくなってしまう。
いろいろなものを口にする機会を失うということは、味覚が広がる機会を失うということ。
食べることを楽しいことと感じられなくなったら、「お米には八十八の苦労がかけられているんだよ」なんてお話に耳を傾ける気すら起きないことでしょう。
 
元気を与えてくれる、立ち直るきっかけを与えてくれる「食べる」ということを楽しいと感じられなくなったら…、いや、もう感じられないのかも。
感じられないから、ちょっとしたことで凹んでしまい、立ち直れないのかも。
感じられないから、食べ物を粗末にしてしまうのだろう。

2006年10月29日 (日)

評論家になってしまう哀しみ

「今日の先生の話はいまいちだったね」
法話を聞き込んだ方が陥りやすい落とし穴。
始めは、真摯に聞いていたのに、聞き慣れてしまって、先生の評論をしてしまう。
法話を通して、自分の姿を知らせていただくのに、先生がどうだこうだ言ってしまう。
その姿を見ていて、哀しくなってしまいました(T_T)

2006年10月28日 (土)

黄色いユリ

玄関のお花は坊守が生けています。今はユリが生けてあります。
ちょうど花開き、ユリの芳しいにおいが、寺に来る方を迎えています。

昨晩、西蓮寺仏教青年会がありました。
参加者の女性が玄関に入るなり「あぁ、いいにおい!! このユリですね。綺麗!!」と言われました。ちょうどそこに坊守が通りかかり、その女性と坊守でユリを見ながらお話。
「美しいユリですね。においも素敵。坊守様が生けられたのですか? きれいなお花で迎えていただいて、ありがとうございます」
      
お花は親鸞聖人の屏風の前に飾ってあります。
「親鸞聖人と美しいユリの香、そして坊守様の温かいおこころで迎えていただいてありがとうございます」
会が終わってからお礼のメールが届きました。  
  
今朝、女性からお礼のメールが来ましたと坊守に話すと、
「あんなに喜んでくれて、あんなにお花を愛でてくれて、とても嬉しかった」
坊守は涙声で喜んでいました。

お花を喜んでくれる方のこころは、その花と同じように美しいです。

Pict0293   

2006年10月27日 (金)

青い鳥

今朝、急に思い立ち、部屋の模様替えを始めてしまいました(やらなければいけないことがたくさんあるのにTT)。

ひとたび模様替えを始めてしまうと、一部屋の中だけでは済まず、リビングと事務室と寝室の三部屋にまたがって模様替えをしてしまいます。リビングの家具を寝室に移し、寝室の家具を事務室に移し、事務室の家具をリビングに持ってくる。三角形でものが移動します。今までに何回模様替えをしたっけな。家具は何度移動したことでしょう。

夕方、模様替えも終わり、きれいになりました^^
ふと気付くと、いつかどこかで見た風景。あぁ、そういえば前にもこんな配置にしてたっけ。時間をかけて、また元に戻ってしまいました。

初めの頃にやったことって、もしかしたら結局一番落ち着くのかもしれませんね。
文章を書いていても、何度も書き直しているうちに、初めのがベースになっていたり、
字を書いたときに、気に食わずに書き直すのだけど、一番最初のがよかったりします。
仕事や、料理の味を調えるときや、お花を生けなおすときなどなど、やり直してみたけど、初めのが一番良かったってこと、ありませんか?  

でも、やり直さずにはおれなかったりします。
数ヵ月後、また急に思い立って模様替えを始めることでしょう。

2006年10月26日 (木)

無限の妙用

あのときの あのせいで~
あのときの あのおかげで~

人生を振り返ったときの節目節目

その節目に「ありがとう」はあっただろうか
  
    
お礼のことばとしての「ありがとう」という意味だけではなく、有ることが難いという
はたらきとしての「ありがとう」
そういう意味では「あっただろうか」ではなく、「あったからこそ
自身が発する「ありがとう」はかなり限定されている
自身に発する「ありがとう」は無限   

2006年10月25日 (水)

自己紹介②

こんな環境で育った私です。
       
私は○○(地名)の出身です。
海が近くにあります。夏は毎日のように泳いでました。
名産は○○です。とても美味しいです。
夏には○○祭りというのがあります。知ってますか?
私の父は厳しくて、挨拶を欠かしてはいけないと育てられました。
母は優しくて、手紙を書くことが好きな人です。よくお礼の手紙を書く人です。
隣にはとても優しい老夫婦が住んでいて、小さいときからお世話になりました。
反対の隣には、夫婦とお子さんがひとり。家族一緒に遊びに出かけたこともあります。
小学生のころは野球部に入ってました。監督は厳しかったけど、練習が終わった後に一緒にお菓子を食べながら話すときはとても面白い人でした。
高校の国語の○○先生が好きでした。『○×な△△』という本を薦めてくれて、今でも私の大切な本です。   

念のために申しておきますが、架空の人物です。
これは自己紹介とはちょっと違うんじゃないかって? そうですね、自身のことよりも、自分が育った環境のことを述べてますものね。
実はですね、先日「自己紹介」という文を書いて、「自己紹介の内容が、自分の育った環境をお話する地域(海外だそうです)があるってことを聞いたことがあります」と教えていただきました。あぁ、素敵な自己紹介だなぁって思いました。

誰もが今まで育ってきた環境を経て、今の私がある。
   
 ご恩思えば みなご恩 この才市も ご恩でできました
                              浅原 才市

育てられたご恩、いただいたご縁を生かされてきた私。
そういうご恩を感じながら話せる人からは、「あぁ、こういうことを笑顔で言える人なんだなぁ」って感じられます。聞いてるほうもうれしくなります。その人の人柄が、とても伝わってくるような気がします。

2006年10月24日 (火)

根無し草

数日前、チャンネルをカチャカチャ変えながらテレビを見ていたら、ある番組(番組名は忘れてしまいました)で、
「結婚してから態度が変わるのは男か女か」というテーマで出演者の男性陣と女性陣で言い合いをしていました。
男性は女と言いますし、女性は男と言うので、見ていて面白いなぁと思いました(話の結論も忘れてしまいましたが)。
    
   
男性女性関係なく、変わりやすいのは“私のこころ”。

2006年10月23日 (月)

自己紹介

自己紹介って難しい。
 
・白山勝久といいます。
・35才です。
・僧侶です。
・西蓮寺というお寺の副住職をしています。
・綺麗好きです。
・気が短いです。でも、丸くなったねって言われます。 
 
先日自己紹介する場があり、上記のように紹介しました。というか、隣にいる友人に紹介してもらいました(なんじゃそりゃ!!)。
自分で自分のことを紹介するのって、とても恥ずかしい。
 
それに、紹介の内容は確かに私のことですが、ひとつひとつは決して私ひとりを指すことじゃない。
 
自己とは何ぞや?
人生の根本問題ですね。
自己を求める旅が人生。

2006年10月22日 (日)

自己肯定≠自己否定 自己否定=自己肯定

昨日、「自己弁護・自己肯定みたいですね。そんなつもりはないのですが^^;」と書きました。
今朝掃除をしながら、そういえば、それって面白い表現だなぁって感じ始めてました。
  
だって、私が発することばって「自己弁護・自己肯定」ですよね。「自己否定」するようなことって語らない。
もし「私が間違っていました」と言っても、「間違っていました」という自己肯定だし。
「私が悪かった」「どうせ私なんか」「罪悪深重の悪人です」もそうだなぁ。
そうか、真宗って、自己否定のようだけど、自己肯定なんだなぁ。

ただ、「自分こそ正しい」という想いしかない「自己弁護・自己肯定」なのか、
「自己否定」を含んだ「自己弁護・自己肯定」なのか。そこが大きな違い。
   
ことばは、人を助けもするし、傷つけることもある。同じことば だったとしても(たとえば「頑張って」とか)。
発せられたことばが「自分こそ正しい」ことばなのか、「自己否定」のことばなのか。その違いが、人に響くか傷つけるかという違いとなって表われる。

自己肯定は自己肯定でしかないけれど、
自己否定という内省を含んだ自己肯定は、南無阿弥陀仏と手が合わさることなんだなぁ。

落ち葉を掃きながら、そんなことを考えていました。
(「“自己”とはなんぞや?」なんて問わないでくださいね。きょうの思索が吹っ飛んでしまいますから。掃き集めた落ち葉とともに)

2006年10月21日 (土)

発想の飛躍というけれど

昨日、「発想の飛躍」という表現を使いました。面白い表現だなぁって感じています。

このことばが気にかかるようになったのは、今年の8月のこと。あるお寺にご法話を聞きに行き、ご住職がご門徒に感想を求めました。ある門徒さんが「先生のお話には発想の飛躍があります。そこの部分を詳しくお聞かせください」と言われました。
その時に「発想の飛躍」ということばが脳裏にインプットされました。

で、また別のお寺にご法話を聞きに行ったときのこと。そのときもある門徒さん(先の方とは違う方です)が、「先生のお考えには発想の飛躍があり、受け入れることができません」って。
「詳しく聞きたい」から「受け入れられない」に移ったぞ!! なんて内心ドキドキしながら聞いていました(傍観者ですね)。
「発想の飛躍」ということばが、私の中でキーワードとなってきました。

で、次。「発想の飛躍」は、私が法話をしたときにやってきました。
「こういうお話をされましたけど、発想の飛躍です。詳しく教えてください」(今回の「発想の飛躍」は「詳しく聞きたい」でした^^;)

そこで自分の想いを語り、語り語りしているうちに「あぁ!!」と言ってもらえました(「あ~ぁ><」ではないと思う)。
共感があったようです。
   
感想として、「発想の飛躍」があると感じるのは有り得ることだと思います。でも、「発想の飛躍」って、話している方はそういうつもりはないんですよね。聞いている方が感じることです。
仏教書や仏教辞典に書いてあることを そのまましゃべれば、発想が飛躍する部分なんてないと思うんです。でも、そんなお話を聞くなら、本を読み聞かせてもらっているのと同じですよね。
「発想の飛躍」を感じる話をされたということは、その話し手にとっては、自分の中で様々な、いろいろな、深遠な思考がはたらいているのです。そうしてたどり着いた想いを語っている。
だから、話し手にとっては筋が通っていることなんです。聞き手にとっては「発想の飛躍」を感じるかもしれませんが。

話し手には、分かりやすく話す責任があるのかもしれませんが、聞き手に「あれはどういうことなんだろう?」と考えていただくことも法話の醍醐味だと思うのです。
聞き手も、「聞法(ご法話を聞くこと)」とは 答を求めるのではなく、問いを求めることだということを知っていて欲しいのです。

「この先生はいいこと言う」なんて感想で良しとしているなら、「同感」はあっても「共感」はないでしょう。
「この先生の言うことは発想の飛躍があるなぁ」って思えたなら、「同感」はないでしょうが「共感」があるかもしれない。

「発想の飛躍」を感じた空白部分に、阿弥陀様がいるのですよ。
「発想の飛躍」を感じる話をした人は、自分の思考の中で阿弥陀様に出遇っているのだと思います。

そんなことを思うのです。
って、自己弁護・自己肯定みたいですね。そんなつもりはないのですが^^;

2006年10月20日 (金)

同感と共感

「同感」と「共感」って、似てるけど全然違うなぁって思いました。
   
意見・思考・好みなどが合ったときに、「同感、同感♪」と思いますよね。
でも、「同感、同感♪」と思っても、ちょっと食い違っただけで、その同感の意識は消えていきます。

「同感」っていう場合、正しい自分というものが先にあるのではないでしょうか。正しい自分と想いを同じくするものに出会ったときに「同感」という。
「同感」っていうのは自分の意見・思考・好みなどの正当性を高めるために湧いてくるのではないでしょうか。
だから、自分の想い・考え方・好みに反するものに「同感」とは思えない。

「共感」は、こころ揺さぶられる何かがあって、それに触れて「共感」するのではないでしょうか。ハッと気付かされるわけです。こころに何かが響いてくるのです。「共感」は「響感」と言い換えられるかも。
「共感」っていうのは、自分の正当性を立証するものではなくて、自分の足りない部分・間違っていた部分・あやふやな部分を明らかにしてくれるのだと思う。
だから、今までの自分の考え方と違っても、自分を否定されても、理解・納得できないことだとしても、何かがこころに響いてくる。自分を呼び覚ます何かがある。こころの底から「共感(響感)」という感情が湧いてくる。
    
でも、「共感できる」と言ってしまうと、自分の意思があってのことになってしまうから、「同感」と同義になってしまう。
「共感、共感!」って響いてくることを阿弥陀さんっていうんじゃないかなぁ(発想の飛躍でしょうか?)。

2006年10月19日 (木)

想いは形となって表われる

仕事が全然片付きません。机の上が書類や本でごった返しています。まったく手につかないし、はかどらない。勢いよく仕事をこなせる時もあれば、葉書一枚すら書けないときもある。なぜこんなにムラがあるのだろう。
ブツブツ言いながら、やらなければいけないことを書き出す。あぁ、こんなにあるのか。当分手につきそうにない…。
 
    
数年前(かなり前)、寺の掲示板に、
あぐらをかいて字を書けば、字もあぐらをかく
と掲示したことがあります。

後で分かったことなのですが、このことばを掲示してあるときに、作家の阿川弘之さんが法事で西蓮寺をお参りされたそうなのです。
普段、寺の掲示板のことばなど説教くさくて嫌だと気にも留めない氏も、このことばには、おやと足を止めたのでした。
氏は、原稿を書くのは気にならないけれど、葉書便箋などを書くときは、自分の字が嫌で筆が進まないそうなのです。で、ギリギリ書かなければいけなくなってから、嫌々書き始める。パジャマを着たまま^^

掲示板のことばを見て、
「パジャマを着て字を書けば、字もパジャマを着るということだなぁ」と感じられたのでした。
(このような感想を、ある雑誌の連載コラムに書かれていて、それを見つけた門徒さんに教えていただいたのでした)     
   
       
嫌々やっていると、やったことのすべてに嫌々な雰囲気が染み付いてしまう。
ダラダラやっていると、やったことのすべてにダラダラ感が染み付いてしまう。
形は整っていたとしても、そんなに嫌ならもう頼まないよと愛想尽かされることでしょう。
   
生き生きとこなしたことからは、生き生きとした躍動感が伝わってくる。
楽しんでやったことからは、喜びが伝わってくる。   
やった内容がいまいちでも、次もまた任せようと思われることでしょう。
   
仕事でも 付き合いでも 遊びでも、どうせやるなら、楽しみながらしたいですね。私がやったことで、誰かが喜んでくれたら、私もまたうれしい。   
あっ、パジャマを着たままブログを書いてました^^;

2006年10月18日 (水)

軽いほど重い

最近お経の声が思うように出ないのです。ノドで声を出している。で、そのノドが詰まっている感じ。肉体的に声が出ていないという面もありますが、自分の気持ちの中で声が出ていない。そんな感じ。

困ったときに、自分がしてきたことを振り返る。
京都で声明(お経)の稽古をつけてもらっていた頃のノートをパラパラ。
で、目に留まった先生のことば。
軽いほど難しいんです

「正信偈(しょうしんげ)」という浄土真宗の日常のお勤めがあります。普段は「草四句目下(そうしくめさげ)」というテンポ・節でお勤めします。でも、儀式の内容や、末寺でお勤めするのか本山でお勤めするのかによって、同じ「正信偈」でも軽いのから重いのまでいくつも種類があるのです。
先生のことばは、軽い「正信偈」を習っているときのことば。テンポが速く、ほとんど抑揚がない「正信偈」。サラッと読んでしまいそうだけど、実はなかなか難しい。大勢で読んでいて、ちょっとつっかえたり間違ったりしたら、もう取り残されてしまう。
  
軽いほど簡単かといえば、そうではない。
簡単・難しいというよりも、私の意識の問題なんでしょうね。軽い・簡単と意識してしまうと、つい手を抜いてしまう。気を抜いてしまう。
気を抜いていいお勤めはないけれど、軽いほど気を引き締めていないと失敗したときに取り返しがつかなくなる。
   
   
前の文章で、「簡略化・簡素化は本来の意味を見失う」ということを書きました。そんなこともあって「軽いほど難しいんです」ということばが目に飛び込んできたんだと思います。
物事の簡略化・簡素化はそうなる必要があってのことでしょうから、仕方がないのです。でも、注意しなければいけないことは、簡略化・簡素化=簡単化ではないということです。どんなに簡略化・簡素化しても、必要なことだから、大事なことだから、大切なことだからものごとを為すのでしょう。手や気を抜いたり、チャッチャッと済ませてしまいましょうなんて気持ちを持ってはいけないと思うのです。真剣に、一生懸命に、向き合いたいものです。
   
声明のことから、ずいぶん外れましたね。
でも、私に「軽いほど難しい」ことに気付かせようとする力がはたらいたのだと思います。
ということは、声明を軽んじていた私がいたのです。それではお経の声も出るはずがありませんね。

2006年10月15日 (日)

ようこそお集まりくださいました

ご法事に64名の方がお参りにみえました。
64人…西蓮寺の報恩講の参詣よりも多いかもしれません。
法事を勤めますと声をかけて、64人も集まってくださる。亡き人の人柄が偲ばれます。

最近、通夜葬儀やご法事をご家族だけで勤められる方が増えています。勤めるだけいいのかもしれません。仏事そのものをしない方も増えていますから。
仏事をしないことを問おうというのではありません。昨日、64人の方が集まられてご法事を勤めているときに、なんて表現していいのか、私自身感動していたのです。
仏事に限らず、人生の節目の儀式って、大規模にやってきた歴史があると思うのです。それが最近では、人間関係の複雑化(嫌いな人に会いたくないとか)・家族構成の変化(親戚付き合いがないとか)・金銭的問題(お金はかけたくないですものね)などのため、小規模化し、或いは、儀式そのものをやらなくなってきています。

「なぜ法事をしなければいけないの?」「法事にどんな意味があるの?」「法事、しなきゃいけないの?」と問われることがあります。
その問いは、法事(仏事)の意味を知ったうえで勤めたいという前向きなものではなくて、「やらなくていいよね」という思いが前提にあっての仮面をかぶった問いのように聞こえます(問うているようで、自分の中にシッカリと答がある)。

なぜそのような問いが出るのでしょう?
理由としては、確かに人間関係の複雑化・家族構成の変化・金銭的問題等が挙げられると思います。
でも、儀式の小規模化によって、それならやらなくてもいいやって方向に流れているのではないかと感じたのです。昨日、法事を勤めながら。

物事の簡略化・簡素化は、自然の流れなのだと思う。でも、簡略化・簡素化が進んでしまうと、やってもやらなくても同じになってしまう。意味そのものが見えなくなってしまう。
儀式の規模の大小を問題にしているのではなく、儀式をやる意味を自身が問いながら勤めることが大事なんだなぁって思いました。

集まった人の顔を見たら、「やってよかった」って思うんじゃないかな。

2006年10月14日 (土)

生きんとする生命

私は
生きんとする生命にとりかこまれた
生きんとする生命である
          
            アルベルト・シュヴァイツァー

「瑞々しい花を見て、散りゆく花を見て、いのちを感じました」なんて書いてきたけれど、私が感じても感じなくても、私のいのちは、生きよう生きようとしているのですね。
   
「なぜ生まれてきたんだろう」
「生きていてもつまらない」
「生きることの意味がわからない」
すべて私の想いにすぎない。
私の想いがどうあろうと、このいのちは生きよう生きようとしているのです。

生きることに傲慢になっていたかもしれません。
生きることに思い上がっていたかのかもしれません。

いのちは、
それを愛そう、愛そうとしている者のものであって、
それを傷つけよう、傷つけようとしている者のものではない。

                         お釈迦さま「白鳥の話」より
   
   
(追記)
今日のことば「私は 生きんとする生命にとりかこまれた 生きんとする生命である」。
前から知っていたのではなくて、昨日、本を読んでいて目に飛び込んできたことばです。
最近“花”について書き綴っていましたが、だからこそ飛び込んできたのでしょう。本を読んでというよりも、パラパラとめくっていただけなのです。それなのに、このことばが目に留まりました。
「お前なぁ、いのちを感じるなんて書いてるけど、お前の周りには生きんとする生命がいっぱいあるんだぞ!! 生きんとする生命にとりかこまれて生きているんだぞ!! お前自身の生命も生きんとしているんだぞ!!」
って呼びかけられているように感じました。
有り難いことです(;人;)

2006年10月13日 (金)

花のいのちはけっこう長い♪

東京の寺では、ご法事は寺に集まってもらってお勤めします。門徒さんのお家にお邪魔するのではなくて。(だから門徒さんのお家やお内仏の様子がまったく分からないのです)。
法事のために有縁の方々に集まってもらうので、ほとんどの門徒さんが土・日曜日に法事をされます。そのため、本堂のお花は金曜日に挿し換えています。

住職が留守だったので私がお花を挿していました。
陽射しも和らぎ、気温が下がってきました。お花の持ちが違いますね。夏場は、金曜に挿しても、土・日持つかなってヒヤヒヤしますが、涼しくなってくると一週間くらいは軽くもちます。寒いときは二週間はもちます。
そうなると、挿し換えなくても大丈夫かなぁって思うときもあるのですが、やはり本堂のお荘厳です。キチンと一週間ごとに替えています。
遠目に見ると まだ大丈夫かなってお花も、華瓶(花瓶)を手に取ると、水がにおったり、葉に元気がなかったりします。

お花屋さんで買ったばかりの、瑞々しい花束を見ていのちを感じたと書きましたが、若いだけがいのちではない。徐々にしおれて、枯れていく様もいのち。
本堂の古いお花を一本一本抜きながら、また花から教えられました。

でも、まだまだきれいに咲いているお花ですから、墓地に挿しに行きます。
観音さん(なぜか観音さんがある真宗寺院)・永代供養墓・西蓮寺のお墓・もうすぐ命日だったなぁって思い出した方のお墓など。
水切りをして お墓の花立に挿すと、花がまた生き返ります^^

2006年10月12日 (木)

花のある生活

以前、お内仏(お仏壇)に供えるお花について書きました(こちら)。その際、お墓に供えるお花についても書きました。

お墓の花立に花を挿し、手を合わせ、お参りする。そしてそのまま帰ります。
でも、そのお花を家に持って帰って飾るのが、元々の習慣なんです。とはいっても、村の中に寺があって、誰もが歩いて寺にお参りするような環境での習慣ですけどね。
「お花を私の方に向けて挿すのは、亡き人から私へ向けられているんです」と書きましたが、家に持って帰って飾るということも、そういうことを含んでいるのかもしれません。

前の文章で、花を見て いのち を感じたと書きましたが、
お墓参りのためにお花を手にする、それを家に持って帰って飾るというのは、やはりそこに何かを感じて欲しいという亡き人からの呼びかけがあるのではないでしょうか。

お墓参りの際、墓石だけではなく、手にしたお花と向き合ってみてください。なにも感じないかもしれないけれど、何か感じるかもしれません。人それぞれ。
  
  
(おまけ)
お墓にお供えしたお供物は持ち帰っていただいてます。ずっとお願いし続けてきたので、今ではみなさん持ち帰ってくださるのですが、一件だけ、ご丁寧にたくさん供えてそのまま置いていく方がいます。
供えて帰るまでは、その方が墓前にいるわけだから きれいに供わっています。でも、人の気配がなくなると、すかさずカラスが食べ散らかしに来ます。お墓を離れてから30分ほどしてから戻ってみてください。きれいに掃除したお墓が、お供えでグチャグチャになってますから。そのお墓だけが汚れるのならまだしも、周りのお墓にも被害が及びます。どうかお供え物はお持ち帰りください。

2006年10月10日 (火)

いのちが見えてくる

師の誕生会があり、花を買って会場に向かいました。
花束を手に電車に乗り、駅に着くまで花と真向かいになっていました。

考えてみれば、花の一本一本をこんなに凝視することってないなぁ。
生け花を習っていた頃は、お花をどのように生けるかを考えるから、生けた全体でしか見ない。
本堂にお飾りしてある花は、お経中に目に入るぐらい。
墓地花を集めるときには、お花は枯れているし…。

花の一本一本、花弁の一枚一枚、葉の一枚一枚をジッと見たことってあるだろうか。
こんなにもきれいで、こんなにも瑞々しいんですね。驚きました。
いのちだなぁ、生きてるんだなぁって手元の花から伝わってきました。電車の中、ひとり感動していました。

花束にするということは、切られているわけですから、いのちを絶っているという見方もできます。でも、生きています。花瓶に挿して、お水をあげれば、水は減ります。ちゃんと水を吸収しているし、呼吸もしているのです。生きよう生きようとしているのです。
聞いた話ですが、ウナギを輸送する際、生きたまま輸送すると目的地に着く頃にはすべて死んでしまいます。でも、少し傷をつけると、ウナギはその傷に耐えて生きよう生きようとするので、目的地に着いてもまだ生きているそうです。
人間も、大事に大事に育てられるよりも、傷を負った方が生きよう生きようと思えるのかもしれません。

話が逸れましたが、
花を見て感じたのは、いのちって見られるんだなぁ、感じられるんだなぁって強く思ったのです。
花を部屋に飾る、植物を育てる、動物を飼う、子供を育てる。そこから何を見るか、感じるか。
「いのちを大切に」という掛け声からは、「いのち」が見えてこないのです、感じられないのです。ことばにいのちがないからです。いや、発する人間に いのち がないのです。
見る、聞く、触る、匂いをかぐ、感じる…そこにいのちが伝わってくるのです。その作業を通して、自分自身が生きてる実感が湧いてくるのです。
    
傷は、付けた方は痛みを感じない。でも、痛がっている人がいるという事実を見つめることはできる。
傷は、付けられた方はいつまでもその痛みを忘れない。その痛みを復讐という形で返すのか、他の人にはこの痛みは感じて欲しくないと思えるのか。
 
頭から いのち を叫んでも、いのちをいのちと認識できないのです。
花を見て、傷を負って、いのちを知る。いのちを感じる。
  
  
師の誕生会
プレゼントするつもりの花束から、大事なメッセージを受け取りました。

   
自分自身の肌で感じるものが
こころの中に届くからこそ
いのちが見えてくる

  大河内 祥晴さんの言葉から(大谷派「同朋新聞」2006年10月号より)

2006年10月 9日 (月)

月光浴

月かげのいたらぬ里はなけれどもながむる人のこころにぞすむ
                           法然上人

月の光がいたらない里はない
 仏の慈悲も届かぬ人はいないのです

月を雲が覆ってしまえば、「月が見えない」と思ってしまう。
「無宗教ですから」「無神論者ですから」と言う人は、仏を頼りともしないのでしょう。

でも、
雲で覆われていても、月はある。
「無宗教ですから」「無神論者ですから」と言っても、仏さまの慈悲のこころは すべての衆生にかけられている。

「ながむる人」・拝む人・頼りとする人にのみ慈悲がかけられるのではない。
私のこころがどう思おうが、慈悲の光に照らされている。

真(まこと)のこころに照らされている。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

2006年10月 8日 (日)

つきとくも

つきづきに つきみるつきは おおけれど つきみるつきは このつきのつき

誰かの辞世の歌と教えてもらった記憶があるのですが、どなたなのか分かりません。
でも、初めて聞いたときから(小学生高学年だったかな)耳の奥底にとどまっています。

この世を去る最後に見たお月さん、きれいだったんだろぉなって思います。
(辞世の歌なのか真偽は分かりませんが)
あっ、この短歌を誰が詠んだのか調べてて教えていただいたことなのですが、この短歌の中に「つき」は8つ。そのほかの語が15あります。8と15。8月15日、つまり中秋を表わしているんですって。
そこまで意識して詠むなんて凄いですね。もし辞世の歌だとしたら、余裕さえ感じてしまいます。
 
《思い出話》
中学生のとき富士山に登り(林間学校だったかなぁ?)、その感動を短歌で詠みなさいと国語の授業で課題が出ました。
「つきづきに~」が好きだったものですから、富士山から雲を見下ろした感動を(何合目まで登ったんだっけ?)
「くもぐもに くもみるくもは おおけれど くもみるくもは このくものくも」
なんて詠んでみました。
自分としては半分まじめ半分おふざけだったのですが、優秀賞をもらってしまい、「盗作ですので」と辞退したことを覚えてます。
国語の先生は「そうなの? どっかでみたような気はしたけど。でもいいじゃん。優秀賞っていっても20人もいるんだから」
チャンチャンって感じです^^;
   
   
昨晩、東京では満月がきれいに見えました。
みなさんのところでは見えましたか?

2006年10月 7日 (土)

今日は満月

今日は満月ですね。
中秋イコール満月、だから「中秋の名月」というのかと思っていましたが、必ずしも中秋の日が満月とは限らないのですね。
中秋は「旧暦の8月15日」のこと。満月は地球と月の公転の関係で周期があります。ですから、中秋と満月の日が一致するとは限らないのです(むしろ一致しないほうが多いのです)。
でも誤差はそんなにありません。今年は中秋が10月6日、満月が7日。

昨日は荒れた空模様でしたが、今日は快晴でしたね。風は強いけれど。
さて、今晩満月はきれいに見られるでしょうか。
  
去年、
「満月とはいっても、月自身は常に満月なんですよね」
と書きました(こちら)。
月の見え方は日々変わります。でも、どんなに見え方が変わっても、月自身はいつも まん丸お月さん♪
  
  
さて今年感じたこと。
満月の日は、月が見えるかどうかを気にする人が多いと思います。普段は気にしないけれど。でも、見えても見えなくても、月自身は常に存在してるんですよね。
雲が覆って月が見えなかったとしても、月は輝いている。
まだ明るい昼間だって、月は地球に寄り添っている。
そういえば、小学生の頃、昼間に月が見えて「昼なのに月が見えるぞ!!」って、みんなで空を見上げたことがあります。大人になれば、そんなの当たり前だろって片付けてしまうことでも、小さい頃は驚きがある。あんな驚きって、今ないなぁ。ないんじゃなんいだ。感じないだけなんだなぁ。
   
「雲が覆って月が見えなかったとしても」と書きました。
「雲が覆って」と書くと、雲が月を覆っているようだけど、実際に覆われているのは私なのかもしれない。
見えるものが見えない。感じるべきことが感じられない。驚くべきことが驚けない。
自分のこころの闇が、理性が、知識が、自分自身を覆っているのかもしれない。
見えないんじゃない、見えてないだけなんだなぁ。

2006年10月 6日 (金)

今日は中秋

今日は中秋。
残念ながら東京は大雨で、月を拝むことができません。

5日「沖縄県平和祈念資料館より」という記事を載せたことでお分かりかと思いますが、沖縄に行ってきました。
4日から6日まで、坊さん仲間7人と。私だけ初めての沖縄でした。

昨日の文章は、沖縄県平和祈念資料館の展示場内の壁に書かれていた文章です。場内は撮影禁止なので、文章を書き写し、後でメールでブログに投稿しました。
5日は「沖縄県平和祈念資料館」と「ひめゆり平和祈念資料館」に行って来ました。
長崎を通して見た戦争のことは何度か書いてきましたが、沖縄についてのことはほとんど知らないに近い状態で恥ずかしかったです。
おいおい感じたことを書いていこうと思います。
  
  
沖縄に行く前は台風が心配されましたが、滞在中は瞬間的に雨が降る程度で、天気に恵まれました。6日も快晴。みんなして帰るのを惜しんでました。
でも、今日(6日)関東は大雨だったのですね。那覇空港に着いてから状況を知りました。
成田も羽田も飛行機の着陸が滞り、定刻より遅れての出発となりました。
一度飛行機に乗り込んだのですが、40分ほど遅れて離陸せよとの羽田管制塔からの指令により、乗客は全員一旦降ろされました。こんな体験は初めてでした。おかげで、待っている間に沖縄最後のソーキそばを食すことができました。美味しかったです。
待機中、出発しても別の空港に緊急着陸なんてことになったらどうする? なんて話していたのですが、「○○空港なら誰々、△△空港なら誰々に世話になろう」なんてリストアップしていました。坊さんネットワークは全国的です。でも沖縄に大谷派のお寺は一ヵ寺だけなんですね。このことも初めて知りました。
結局 誰の世話にもなることなく、無事に羽田に着きました。よかったよかったです。

2006年10月 5日 (木)

沖縄県平和祈念資料館より

沖縄戦の実相にふれるたびに
戦争というものは
これほど残忍で これほど汚辱にまみれたものはないと思うのです

この なまなましい体験の前では
いかなる人でも
戦争を肯定し美化することは できないはずです

戦争をおこすのは たしかに 人間です
しかし それ以上に
戦争を許さない努力のできるのも
私たち 人間 ではないでしょうか

戦争このかた 私たちは
あらゆる戦争を憎み
平和な島を建設せねば と思いつづけてきました

これが
あまりにも大きすぎた代償を払って得た
ゆずることのできない
私たちの信条なのです

2006年10月 3日 (火)

いつか来た道

この道はいつか来た道
ああ そうだよ あかしやの花が咲いてる

        「この道」(作詞・北原白秋/作曲・山田耕筰)

「この風景どっかで見たことあるなぁ」って思うことありませんか?
自分ひとりの記憶としてなら、実際に来たことがあるとか、似た風景の場所に行ったことがあるとか、好きな写真集に載ってた風景ということも考えられますね。
あるいは、夢で見たとか、デジャヴとか、単なる思い違いだったりして。

でも、先行く人の見た風景が、今の自分に見えているのかもしれない。
初めてきた場所でも懐かしく感じることがあるのは、人のこころの中に受け継がれている風景があるからなのかもしれない。
   
   
あの丘は いつか見た丘
ああ そうだよ ほら 白い時計台だよ

この道はいつか来た道
ああ そうだよ お母さまと馬車で行ったよ

あの雲もいつか見た雲
ああ そうだよ 山査子(さんざし)の枝も垂れてる 

 

2006年10月 1日 (日)

2006年10月のことば

  Pict0005
  どんなに孤独なときも ひとりではないのです
  
私が歩んでいる道は、誰かが歩いた道。
私が歩んだ道は、誰かが歩く道。
先に誰もいなくても、振り返っても誰もいなくても、私はひとりではない。
私に先立って道を示してくださった方がいる。だから道が道として私の前に開かれる。私が歩んだその道が、後の人が歩む道となる。

「白道(びゃくどう)」
西に向かって歩む旅人の前に、大きな河が立ちふさがります。河の南側は火が燃え盛り、河の北側は水がうねりを上げて荒れています。よく見ると、河に一筋の白道が西の岸まで のびています。幅はわずか四五寸ばかり。火と水の勢いは激しく、とても白道を渡れそうもありません。そんな旅人に、盗賊や獣が襲いかかろうとしています。
旅人は西に体を向け、「引き返しても盗賊や獣に殺されてしまう。ここにとどまっても死んでしまう。水火の河を渡っても死んでしまうだろう。いづれにしても死を逃れられないのならば、私は西に向かって、この白道を歩む」と決心します。
その瞬間、東の岸より勧める声がします。
 「仁者(きみ)、決心してこの道を渡りなさい」
また、西の岸より喚(よ)ぶ声がします。
 「汝(なんじ)、決心してこちらへ参りなさい」
旅人は決心して歩き出します。その姿を見て、盗賊は呼び止めます。「この道は危険だ。帰ってきなさい」と。
盗賊が引き止める声に振り返ることなく、旅人は白道を渡り、西の岸にたどり着きます。旅人は、自分を導くよき師よき友に出遇い、空しくない人生を送りました。

「東の岸」は、私たちが住む現実娑婆世界。「西の岸」は浄土の譬え。
「水の河」は、貪り(むさぼり)のこころ。「火の河」は、瞋り(いかり)憎しみのこころ。煩悩を持つこの私の姿です。「白道」は、そんな私のこころに生じた「すくわれたい」という願い。
東の岸で「渡りなさい」と勧めるのはお釈迦さま。西の岸で「来なさい」と喚ぶのは阿弥陀如来。「引き返せ」と叫ぶ盗賊の声は、私を惑わす甘い誘い。
「旅人」は私自身。勧め、喚ぶ声・願いが、この私にかけられています。
旅人は孤独な旅を続けています。けれど、ひとりではないのです。私が気付こうが気付くまいが、既に常にお釈迦さま、阿弥陀如来の声がかけられている。
誰の目の前にも、白道が開かれています。お釈迦さまの勧める声と、阿弥陀さまの喚ぶ声が聞こえてきませんか?

「骨道(こつどう)」
私は今、砂漠を歩んでいます。獣さえも通らない、目印となるものが何もない灼熱の砂漠を。足元を見ると骨が無数に転がっています。それは、私に先立って生きていかれた方々の骨です。この道を「骨道」といいます。
私に先立って、教えを求めて生きられた方の姿がここにはあります。教えを求め、教えに出遇い、楽な道を知って平穏に歩めるのではありません。この灼熱の砂漠を、一歩一歩踏みしめながら歩くほかに道はない。そこにこころ落ち着いた、教えを求め、出遇った人の姿です。
私が歩んでいる道は、私だけが苦労して歩む道ではない。私に先立って、苦労された方の歴史がある。私も、その歴史の一骨となり、後から来る人の導きとなる。

私は今、砂漠を歩んでいます。獣さえも通らない道だけれど、孤独だけれど、でも、ひとりではないのです。
  
  
「白道」も「骨道」も、きれいに舗装された道ではない。平坦で安全で安心で楽な道ではないけれど、だからこそ一歩一歩を大事に歩む。だからこそ支えとなってくれるはたらきがこの私に届いている。

どんなに孤独なときも ひとりではありません。

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