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2006年9月18日 (月)

見えてないもんだなぁ

掃き掃除をしています。たとえば、南から北へ向かって掃き掃除をしたとします。で、完璧に落ち葉・ゴミを取ったつもりで振り向きます。でも、たった今掃除をしたばかりなのに、落ち葉・ゴミが落ちているのです。掃除してすぐに葉っぱが落ちてきたとか、ゴミを捨てられたということではなくて、見落としているのです。
南から北に向かって掃除をしたのだから、今度は北から南に向かって歩き直してみます。ポツンポツンと落ちている葉っぱや吸殻。たまには使い終わったティッシュとか。こんなのを見落としてたのか!?ってものまで^^;

人と話していると、いろいろな考え方があることに驚かされます。「あぁなるほど!!」と思えることもあれば、「なにを言ってんだか」なんて思うこともあるでしょう。でも、自分の思考の枠を超えた考え方って、たくさんあるものです。自分ひとりで考えていては、閉じこもっていては、なにも見えてきません。

ある高校のバスケット部の監督が、控えの選手にレギュラーのプレーを、先ずは地に座って見せ、次にイスに座って見せ、最後に立って見せていました。見る角度によって感じ方がまったく違うからだと言っていました。

芝生を見るとき、芝の目に向かってみるのと、芝の目と逆から見るのでは、同じ時間帯だとしても、芝の色が違います。

同じ道を同じ方向に歩いたとしても、昼と夜ではまったく景色が違います。

走っているときと、歩いているときでも、見えてくる景色は違います。

海や空の景色って、ずっと同じ場所に立っているのに、刻一刻と変わります。
   
   
見る方向によって、見るタイミングによって、見るときのこころによって、見え方というものは全然変わってきます。
 
見落としていること、出会ったのに気付いていないこと、たくさんたくさんあります。
見る角度やスピードを変えたり、同じ場所にずっと立っていたり、一歩引いて受け入れてみたり…視野が一気に広がります。


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コメント

>見る方向によって、見るタイミングによって、見るときのこころによって、見え方というものは全然変わってきます。

ほんとうですね。
風景だったら感動がひろがりますが、
自分のこころの状態ひとつで
人の行動がちがって見えてしまうのは悲しいです。

見えてしまうのなら、まだ仕方のないことですが
さらに自分で歪ませて解釈して
必要以上に、怒ったり落ち込んだりしている私です。
そして他の見え方があることを感じながらも
それを受けつけられないないのだから困ったものです。

私の場合は、前段階で「見ようとしていない」ようです。


☆イモーとさん こんばんは
見えることに悩むだけでなく、
見えるままに受け取らずに 自ら歪ませてしまう。
見ようとしないこともある。
私もですよ。

清沢満之先生の
「われわれは他人によって苦しめられるのではない」
ということばが重く響いてきます。

イモーとさん、こんにちは。

>さらに自分で歪ませて解釈して必要以上に、怒ったり落ち込んだりしている・・・

人間の「解釈」とは全て歪んだものだと感じます。

>見えるままに受け取らずに 自ら歪ませてしまう。

との、かつさんの仰るとおりだと思います。この「見えるまま」が難しいことで、解釈が入ったら「見えるまま」ではなく、自分の心が描き出した影絵のようなものでしょう。でも人間は常に影絵を描いて勝手に苦しむものです。では影絵を破ってくれるのは何でしょうか?

☆やすさん こんばんは
「影絵」…いい表現ですね^^
私たちが見ているものは、実は影絵。シルエット。実体は他にある。
影絵を破ってくれるもの、というか、影絵を見ていることに気付かせてくれるのが
阿弥陀さま。
たとえ気付いたとしても影絵を見続けるのが、この私。

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