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2006年9月29日 (金)

道(旅路)

道は、誰が歩むことも拒まず、沈黙のうちにひらかれています。道といわれるかぎり、すでに誰かが歩いて行ったと思われますが、遠くつづく道の視界のうちには、先人の姿は見えません。いま、道はあらたな足音を待っています。これまでがそうであったように、これからもひとり歩きつづける旅路かもしれません
                     佐々木 徹『東山魁夷ものがたり』より

日本画家 東山魁夷さんの作品「道」。
緑を基調にした草原の中を、私の足元からはるか遠くまでまっすぐにのびる一本道。

人生はよく“道”に譬えられるけれど、誰も歩いたことがない道は、道として存在しない。
誰かが先に歩いていってくれたから道として存在する。私を導くために、道がまっすぐにのびている。恐れることはない。不安になることもない。
人生という旅路を、先に歩まれた方がいる。次にこの道を歩むのは私。

私が歩んだ道を、また次の誰かが頼りとして歩いてきてくれる。
ひとり歩きつづける道(旅路)だけど、ひとりぼっちじゃない。いつも誰かと一緒。

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コメント

「道」と聞いてすぐに思い浮かぶのは善導の「二河白道の譬」です。白道は「清浄願往生心」で「凡夫自力の心にあらず、大悲回向の心なり」ですから、私が作る道ではありませんね。また「信」とは「道ありと信ず」と「得道の人ありと信ず」という祖聖の教えも思い浮かびます。真宗の「信」は、本当かどうか分からないが信用することではなくて、疑いようもない事実を知らされたということですから、「道」と「得道の人」を見出させていただいたことが「信」でしょう。

>私を導くために、道がまっすぐにのびている
>先に歩まれた方がいる

と仰るかつさんも、「道」と「得道の人」を見出されていらっしゃいますね。

道ときけば「二河白道」とは、皆様さすがです。
私は美術の教科書にのっていた絵が思い出されました。
両側が緑色の、ちょっと坂を上るような感じの…

それから、中学校の国語の教科書に載っていた
魯迅の「故郷」の終わりの部分が思い出されました。

大人になって、「骨道」という言葉の意味を聞いたときは、ちょっと胸をえぐられる感じでした。

☆やすさん こんにちは
東山魁夷さんの「道」、まさに「二河白道」かもしれませんね。

「かつさんも、「道」と「得道の人」を見出されていらっしゃいますね」
照れますね。ここはいやいやと否定してしまうよりも、有り難くおことば頂戴しておきます^^

☆イモーとさん こんにちは
「両側が緑色の、ちょっと坂を上るような感じの…」
それ、東山さんお「道」かもしれないですよ。

「白道」に「骨道」
私達が歩む道は決して平坦・安全・安心な道ではないのですよね。だからこそ一歩一歩を大事に、慎重に歩むのでしょうね。
きれいに舗装されてしまったら、その有り難ささえ感じずに歩いてしまう。で、ちょっとした小石にさえつまずいて転んで挫折してしまう。

なにもない安全な道を望むけれど、道があるということ事実が既に大変で大切で有り難いことなのですね。

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