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2006年9月28日 (木)

“道”とは本来、人が歩いて通る場所。
今日、“道”といえば車が通る場所。

人と人がすれ違うから、挨拶が生まれる、表情を見て相手のことを想う。元気そうね、疲れてるのかな、いいことあったみたいね、急いでいるのかな…。
人と車、車と車がすれ違っても表情が見えない。相手のことを想う気持ちも生まれない。

「飲酒運転はやめましょう」
どんなに叫んでも後を絶たない飲酒運転・事故。
それもそのはず。
車から見たら、相手の表情が見えないのだから、相手を傷つけることによって悲しむ人がいるということが分からないのだから、相手を人とは思えない。
歩いている人から見ても、車はキチンと運転されるものと思い込んでいる。急に自分に向かってくる凶器となるなんて想像もしない。運転しているのは、機械ではなく人。酒を飲んでる馬鹿者かもしれない。それだけじゃない。仕事に疲れ寝不足の人かもしれない。待ち合わせに遅れまいと焦っている人かもしれない。哀しい想いを抱え涙で視界が狭まっている人かもしれない。

人と車、車と車がすれ違っても表情が見えない。
相手が“人”とは思えない。人それぞれが抱える背景が見えるわけがない。

「飲酒運転はやめましょう」
お酒を飲んで運転してはいけないのは誰もがわかっていること。それでもやってしまうのは、“人”が見えていないから。
車社会とは、公害問題・燃料問題・交通問題が伴う社会。しかし、それ以前に、お互いの表情が見えなくなる社会。

「飲酒運転はやめましょう」ではなく、「運転はやめましょう」というのが事故をなくす近道かもしれない。これだけ車社会になってしまっては、引き返せないけど。

車に乗っていても、“人”を意識して運転しましょう。
歩いていても、車は“人”が運転していることを意識しましょう。

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