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2006年9月 6日 (水)

“幸せ”の内容

9月2日 練馬の真宗会館に法話を聞きに行きました。
 一楽 真先生(大谷大学助教授)
  「真宗の救い」
  
  
「幸せになりたい」というけれど、“幸せ”の内容ってなんでしょう。

 ①お金や欲しいものが手に入ることですか?

 ②自分の居場所だと感じられるところを見つけることですか?

 ③何でも思い通りになることですか?

 ④自分を磨いて立派な人間になることですか?

自分のことに置き換えて、考えてみてください。“幸せ”の内容ってなんですか?

①欲しいものが手に入ったとして、満足できますか?
もっともっとと果てしなく欲望追求。
あるいは、手に入れてみたらべつに欲しくなかったとガッカリする。

②今いる場所に満足できないで、どうして他の場所で満足できるだろうか。
「自然はいいなぁ」なんていうけれど、そこに住んでいいですよと言われたら困るんじゃないですか?

曽我量深先生は言われました。
一人では淋しいくせに、人がいると鬱陶しいと思う。それが人間世界。
一人でいると静かだなぁ、人がいると賑やかだなぁと喜べる。それが浄土。

③現代の日本は、かなり思い通りに快適になった世界だと思います。 
こんな暑い夏に、クーラーが利いて快適な環境が用意されている。でも、体はますます自然環境に適応できなくなっている。そこでまた快適さを求める。悪循環です。不便さ不快適さを憎み、悪いことだと感じてしまう私たち。

人との関係においても、自分の思い通りになったとしたら、孤独になりますよ。自分の思いを通せば、そのうち誰もいなくなります。

④自分を磨いて立派になって、そんな私は、私自身が見えていない。
他者の振る舞いはよく見えて、言いたい放題。自分の姿はまったく見えていない。
自分はいいことをしている、正しいことをしている、美しい。そんな思い上がりが強くなれば強くなるほど、周りが見えなくなってしまう。

     
“幸せ”の内容ってなんですか?

「こうなることが幸せ」と思っていたことも、ちょっと考えると“幸せ”ではないことに気付く。喜べない私であることに目覚める。
“幸せ”をぶち壊しているのは、誰のせいでもない、私自身の思いに他ならない。

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コメント

本当に「縁」って不思議ですねぇ・・・。 今読んでいる安田理深先生の本に、「自分という主体を明らかにする」ことが幸・不幸、善・悪を超えた「一大事因縁」であり、これが明らかにならなければ何百年生きようと、世間で言う境遇に恵まれようと「空過」であり、人生台無し、生きなかったことに等しいと書かれてありました。「無空過」になるには「本願力に遇う」しかないのですね。

「幸せ」っていつ頃から使われ始めた言葉なんだろうか?「することがうまくいって精神的や物質的に満足だと感じるようす」、と辞書に載っていたけど
時代によって何を目的の意味としてたのかなー?
戦国時代や飢饉・流行病の時などは、生きていられる事が幸せと思っていたのか、思えなかったのか・・
そういえば結婚してから「幸せ」と言う言葉をあまり自分に使えない。変な意味じゃなくて、どちらかと言うと、「安心」という想いが先に出る。
心配性なのかな?

☆まつさん こんにちは
「自分という主体を明らかにする」
そのことに尽きるのでしょうね。幸・不幸、善・悪と言うけれど、そんなのがあるわけでない。自分という主体が明らかになっていないだけなのでしょうね。本願力の有り難さを感じます。

問題意識を持っていないと、仏教書を読んでも、法話を聞いても、なんにもこころに響かないのです。(松扉 哲雄さん)

なにかしら問題意識を持っておられるから、自分という主体を明らかにしようとされているから、お読みになる本でも、このようなブログでも、こころに引っかかるのだと思いますよ。

☆teruさん こんにちは
先日の白骨の会で、「平和を求めるのは、平和だから」という意見が出てきて、なるほどなぁって思いました。
そう考えると「幸せを求めるのは、幸せだから」なのかもしれませんね。ただ それに気付かないだけ。


結婚してから「安心」…うらやましい限りです^^

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