“幸せ”の内容
9月2日 練馬の真宗会館に法話を聞きに行きました。
一楽 真先生(大谷大学助教授)
「真宗の救い」
「幸せになりたい」というけれど、“幸せ”の内容ってなんでしょう。
①お金や欲しいものが手に入ることですか?
②自分の居場所だと感じられるところを見つけることですか?
③何でも思い通りになることですか?
④自分を磨いて立派な人間になることですか?
自分のことに置き換えて、考えてみてください。“幸せ”の内容ってなんですか?
①欲しいものが手に入ったとして、満足できますか?
もっともっとと果てしなく欲望追求。
あるいは、手に入れてみたらべつに欲しくなかったとガッカリする。
②今いる場所に満足できないで、どうして他の場所で満足できるだろうか。
「自然はいいなぁ」なんていうけれど、そこに住んでいいですよと言われたら困るんじゃないですか?
曽我量深先生は言われました。
一人では淋しいくせに、人がいると鬱陶しいと思う。それが人間世界。
一人でいると静かだなぁ、人がいると賑やかだなぁと喜べる。それが浄土。
③現代の日本は、かなり思い通りに快適になった世界だと思います。
こんな暑い夏に、クーラーが利いて快適な環境が用意されている。でも、体はますます自然環境に適応できなくなっている。そこでまた快適さを求める。悪循環です。不便さ不快適さを憎み、悪いことだと感じてしまう私たち。
人との関係においても、自分の思い通りになったとしたら、孤独になりますよ。自分の思いを通せば、そのうち誰もいなくなります。
④自分を磨いて立派になって、そんな私は、私自身が見えていない。
他者の振る舞いはよく見えて、言いたい放題。自分の姿はまったく見えていない。
自分はいいことをしている、正しいことをしている、美しい。そんな思い上がりが強くなれば強くなるほど、周りが見えなくなってしまう。
“幸せ”の内容ってなんですか?
「こうなることが幸せ」と思っていたことも、ちょっと考えると“幸せ”ではないことに気付く。喜べない私であることに目覚める。
“幸せ”をぶち壊しているのは、誰のせいでもない、私自身の思いに他ならない。
| 固定リンク
「一楽先生のお話」カテゴリの記事
- 真宗の救い(2006.09.09)
- 私が一体何をしたというのでしょう!!(2006.09.08)
- 間(ま)がもたらす余裕(2006.09.03)
- 点ではなく、線(2006.09.04)
- “幸せ”の内容(2006.09.06)


コメント
本当に「縁」って不思議ですねぇ・・・。 今読んでいる安田理深先生の本に、「自分という主体を明らかにする」ことが幸・不幸、善・悪を超えた「一大事因縁」であり、これが明らかにならなければ何百年生きようと、世間で言う境遇に恵まれようと「空過」であり、人生台無し、生きなかったことに等しいと書かれてありました。「無空過」になるには「本願力に遇う」しかないのですね。
投稿 まつ | 2006年9月 6日 (水) 17:59
「幸せ」っていつ頃から使われ始めた言葉なんだろうか?「することがうまくいって精神的や物質的に満足だと感じるようす」、と辞書に載っていたけど
時代によって何を目的の意味としてたのかなー?
戦国時代や飢饉・流行病の時などは、生きていられる事が幸せと思っていたのか、思えなかったのか・・
そういえば結婚してから「幸せ」と言う言葉をあまり自分に使えない。変な意味じゃなくて、どちらかと言うと、「安心」という想いが先に出る。
心配性なのかな?
投稿 teru | 2006年9月 7日 (木) 00:16
☆まつさん こんにちは
「自分という主体を明らかにする」
そのことに尽きるのでしょうね。幸・不幸、善・悪と言うけれど、そんなのがあるわけでない。自分という主体が明らかになっていないだけなのでしょうね。本願力の有り難さを感じます。
問題意識を持っていないと、仏教書を読んでも、法話を聞いても、なんにもこころに響かないのです。(松扉 哲雄さん)
なにかしら問題意識を持っておられるから、自分という主体を明らかにしようとされているから、お読みになる本でも、このようなブログでも、こころに引っかかるのだと思いますよ。
投稿 かつ | 2006年9月 7日 (木) 13:20
☆teruさん こんにちは
先日の白骨の会で、「平和を求めるのは、平和だから」という意見が出てきて、なるほどなぁって思いました。
そう考えると「幸せを求めるのは、幸せだから」なのかもしれませんね。ただ それに気付かないだけ。
結婚してから「安心」…うらやましい限りです^^
投稿 かつ | 2006年9月 7日 (木) 13:25