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2006年9月

2006年9月30日 (土)

赤松の剪定終わりました

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お彼岸中
   
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昨日、赤松の剪定終わりました。
植木屋さん、ありがとうございます。
   
   
お彼岸中、落ちてくる松葉を手に、
「ホント、松葉は落ちても二人連れだねぇ」とつぶやかれたおじいさんがいらっしゃいました。そのつぶやきの背景に何を思い出されていたのだろう。
そのような つぶやきの出る人生を歩みたいものです。
いや、そのようにつぶやいてもらえる人生を、だな。

2006年9月29日 (金)

道(旅路)

道は、誰が歩むことも拒まず、沈黙のうちにひらかれています。道といわれるかぎり、すでに誰かが歩いて行ったと思われますが、遠くつづく道の視界のうちには、先人の姿は見えません。いま、道はあらたな足音を待っています。これまでがそうであったように、これからもひとり歩きつづける旅路かもしれません
                     佐々木 徹『東山魁夷ものがたり』より

日本画家 東山魁夷さんの作品「道」。
緑を基調にした草原の中を、私の足元からはるか遠くまでまっすぐにのびる一本道。

人生はよく“道”に譬えられるけれど、誰も歩いたことがない道は、道として存在しない。
誰かが先に歩いていってくれたから道として存在する。私を導くために、道がまっすぐにのびている。恐れることはない。不安になることもない。
人生という旅路を、先に歩まれた方がいる。次にこの道を歩むのは私。

私が歩んだ道を、また次の誰かが頼りとして歩いてきてくれる。
ひとり歩きつづける道(旅路)だけど、ひとりぼっちじゃない。いつも誰かと一緒。

2006年9月28日 (木)

“道”とは本来、人が歩いて通る場所。
今日、“道”といえば車が通る場所。

人と人がすれ違うから、挨拶が生まれる、表情を見て相手のことを想う。元気そうね、疲れてるのかな、いいことあったみたいね、急いでいるのかな…。
人と車、車と車がすれ違っても表情が見えない。相手のことを想う気持ちも生まれない。

「飲酒運転はやめましょう」
どんなに叫んでも後を絶たない飲酒運転・事故。
それもそのはず。
車から見たら、相手の表情が見えないのだから、相手を傷つけることによって悲しむ人がいるということが分からないのだから、相手を人とは思えない。
歩いている人から見ても、車はキチンと運転されるものと思い込んでいる。急に自分に向かってくる凶器となるなんて想像もしない。運転しているのは、機械ではなく人。酒を飲んでる馬鹿者かもしれない。それだけじゃない。仕事に疲れ寝不足の人かもしれない。待ち合わせに遅れまいと焦っている人かもしれない。哀しい想いを抱え涙で視界が狭まっている人かもしれない。

人と車、車と車がすれ違っても表情が見えない。
相手が“人”とは思えない。人それぞれが抱える背景が見えるわけがない。

「飲酒運転はやめましょう」
お酒を飲んで運転してはいけないのは誰もがわかっていること。それでもやってしまうのは、“人”が見えていないから。
車社会とは、公害問題・燃料問題・交通問題が伴う社会。しかし、それ以前に、お互いの表情が見えなくなる社会。

「飲酒運転はやめましょう」ではなく、「運転はやめましょう」というのが事故をなくす近道かもしれない。これだけ車社会になってしまっては、引き返せないけど。

車に乗っていても、“人”を意識して運転しましょう。
歩いていても、車は“人”が運転していることを意識しましょう。

2006年9月27日 (水)

好きか嫌いか

最近、よくお話を聞く機会をいただいている先生がいます。

「最近○○先生のお話をよく聞くんだ」

「その先生に対する好き嫌いって、けっこうハッキリしてるよね」

「へぇ~そうなの。なんで?」

「嫌いだって言う人は、話し方や風貌が嫌とか、師事してる先生のコピーじゃないかとかね」

「ふ~ん、核心を突いた批判じゃないよね」

「う、うん。そうだね」


敵か、それとも味方か。
私が攻撃すれば、敵になる。
私がなんの恐れもいだかず、微笑してみせれば味方になる。

アラン「人間論」
  
  
反りが合わない人、生理的に受け付けない人もいることでしょう。
でも、現実に“敵”や“嫌いな人”が存在するわけではない。
敵だと思えば敵になるし、味方だと思えば味方になる。
嫌いだと思えば話も聞きたくないし、好きだと思えばそばにいるだけで嬉しくなる。

なんて簡単に割り切れればいいけれど、そうもいかないのが私。
お話を聞きたくない人ならば、聞かなければいいさ。でも、自分勝手な理由・理屈をくっつけて相手を批判していたら、自分に帰ってきますよ。それに、その人を好きだという人の気持ちまで傷つけていることにお気付きですか?

2006年9月26日 (火)

彼岸花

今日はお彼岸の最終日
連休も明け、雨だったためお参りも少なかったです。
静かなお彼岸最終日でした。

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お彼岸に入っても咲いてなかった彼岸花ですが、今日咲きました。
お彼岸にギリギリ間に合いました^^
   
   
彼岸中に尋ねられました。
「副住職、お墓のお花にバラはいけないんですか?」
「いや、いいですよ。亡くなった方の好きなお花を挿してあげてください」

お墓のお花は、決まりごとがありません。
亡くなられた方が好きなお花があれば、それを挿してあげてください。

ただ、お内仏(お仏壇)は決まりがあります。
次の花を挿してはいけません。
 1、匂いの強い花
 2、トゲのある花
 3、造花

「匂いの強い花」というのも線引きが難しいですね。金木犀はお内仏にはふさわしくありませんね。もっとも、金木犀は花がすぐにポロポロ散ってしまいますから飾れませんね。

「トゲのある花」はバラが真っ先に思い浮かびますね。バラが好きな人も多いと思います。どうしても飾りたい場合は、お内仏の中の花瓶に挿さずに、お内仏の外に飾ってはいかがでしょうか。

「造花」はお内仏だけでなく、お墓にも飾らないほうがいいと思います。
「いつまでも綺麗な花を」という想いがあってのことでしょうが、それが習慣化してしまうと花を替えなくなる、つまりは手を合わせなくなってしまいます。
お花、どっち向きに挿しますか? お内仏の内側やお墓に向けて挿しますか? 挿しませんよね。私の方を向けて挿しているでしょう。亡き人に対してお花を供えているつもりが、自分に対して向けられている。手を合わせて南無阿弥陀仏と念仏申す機会と共に。
亡き人は、私のことを想い続けていてくださるのです。
お内仏のお花、造花を挿して満足してしまわずに、たとえ一輪でもいいから生きたお花を挿して、毎朝お水を足してください。すると、自然に手も合わさることでしょう。亡き人の呼びかけに応えることになります。

2006年9月25日 (月)

赤松

西蓮寺山門をくぐって正面に本堂があります。本堂右手に大きな赤松があります。樹齢100年は越えているでしょうか。
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お彼岸中、植木屋さんが赤松の手入れをしてくださっています。
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危ないものが落ちてくるわけではありませんが、念のため「頭上注意」の看板を置いておきました。
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「頭上注意」の看板を見て、上を見上げた門徒さんが言いました。
「副住職、こんな立派な松があるのに、いままでジッと見たことがありませんでした。それくらいのゆとりもなく生活してたんですねぇ。ゆっくり空を見上げる時間って必要ですね」
「そうですねぇ」
松を見上げながら、ふたり会話を楽しんでいました。

そういえば、こんなにゆっくり松を見たことなかったなぁ。
なんて想っていたら、松に登ってみたくなりました(○○だからすぐに高い所に登りたがる)。
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植木屋さんが帰ってから、松に登ってしまいました。
「へぇ~、松はこんな景色を眺めてるんだぁ」
感動してしまいました。

 下から見上げた松や空
 上から見下ろした山門や本堂
見慣れているはずのものが、全然違って見えました。


2006年9月24日 (日)

きょうのわんこ

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大きな体を揺すって、ご主人様と一緒にいつもお墓参りに来てくれます。

今朝はひんやり涼しかったです。
だんだんと暑くなり、昼過ぎには日差しも強く、ちょっと動くと汗ばむ陽気でした。
ワンちゃんも日陰を見つけて休んでいました。

日が暮れるとともに寒くなってきました。
暑さ寒さも彼岸まで。気候不順の折、風邪をひかれている方も多く見かけました。
みなさま おからだご自愛ください。

ワンちゃん、ようこそお参りくださいました。

2006年9月23日 (土)

ニャンコ先生

お彼岸お中日たくさんの方がお参りにみえました。
あわただしい中、ふと中庭を見ると、ネコが寝てます。まるで自分の家のように^^

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しっかり休んでるなぁって感じです。
お休みの日、こころの底から休んでますか? つい仕事を片付けてしまったり、頭の中で仕事のことを考えてしまったりしていませんか?
休むときにはしっかり休む。そうしてこそ、次に大きな一歩が踏み出せるものです。

仕事をしている中での休みという意味だけでなく、
今 仕事をしていない人も、何もする気が起きないという人も、人生に疲れてしまった人も、それは、今は休むべき時なんだよという呼びかけかもしれません。
休むときは休むがよくそうろう。あせること、気兼ねすること、自己嫌悪することはなにもありません。

ふてぶてしく寝ているネコから教えられました。
しっかり休んでいるなぁって感じましたが、「今日の夕飯、なに食べようかな」なんてしっかり考えているかもしれませんね。


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「ジロッ」
シャッターを押したら気付かれてしまいました。
にらまれてしまいました。凄みがあります。
    
   
              
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「フンッ」
ふてくされてしまいました。
逃げるでもなく、ホント自分の家のようです。

2006年9月22日 (金)

人のうれしいことを

「人のうれしいことを、うれしいと思えない人生なんてつまらないじゃないですか^^」

 つらい想いをされてきたのに 
  今は笑顔でそんな風に言える
 いつも元気をもらってます
  ありがとうございます

 幸せだから感謝するのではない
   感謝しているから幸せなのです

2006年9月21日 (木)

金木犀

今朝、玄関から出るとあま~い香りがしてきました。

この季節のあま~い香り・・・金木犀(キンモクセイ)です。

お彼岸中に咲くなんて早いなぁなんて思っていたら お参りの門徒さんが

 「副住職、おはようございます。このにおい…金木犀!?」

 「ですね^^」

 「もう咲いてるんですか!! いい匂いですね^^」

人工的なトイレのにおいとは、やっぱ違います^^

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2006年9月20日 (水)

高野槇

「副住職、あれコウヤマキですよね」

「(コウヤマキ? 誰?)」

「門の横の木、高野槇ですよね。珍しいんですよね。新宮様のお印の木が高野槇って聞いて、すぐに西蓮寺さんの槇を思い出しましたよ^^」

「(あぁ!! 高野槇!!) あれ、高野槇だったんですか。知りませんでした」

「普通の槇はよく見るけど、高野槇は珍しいんですよ。一年でチョットしか成長しなくてね、普通のお家ではあまり植えられないんですよ。でも、成長するとまっすぐに伸びるんです。お寺の高野槇を見るの楽しみでした♪」

「そうなんですか。本当に知りませんでした」
   
   
山門の横にある木、高野槇だったんですね。
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数年前に台風で、二股に分かれていたうちの一方の枝が折れてしまいました。
昨年、門前と土塀を改修するときに、「この木、どうしようか」なんて話していたのですが、残しておいて良かったですね^^;

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こちらが普通の槇です。
(“普通の”って言うのもおかしいですね。名前を聞いたのですが忘れてしまいました)

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左が高野槇 右が普通の槇の葉です。
細い葉が特徴ですね。

2006年9月19日 (火)

9月19日

今日は正岡子規さんの命日(糸瓜忌)です。

子規庵」の文章を書いたときに、ご命日が近いなぁと思いつつ、今日、忘れていました。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

水は いのち の源

東京は蒸し暑いです。
昨日はもっともっと蒸し暑かったですね。
どれくらい湿度があったことでしょう。

昨日、すごい湿気だなぁと思いつつ柱に手を当てたら、ビックリしました。
柱がかなり湿っていたのです。吸い込めるだけの湿気を吸い込んで、それでも足りなくて今にも水分が溢れ出てきそうな感触でした。湿気が多いときは柱や廊下が湿っぽくなりますが、これほどまでに湿っぽかったのは記憶にありません。

それほどまでに湿気が多かったのに、加工された柱やフローリングからは水分を感じませんでした。当たり前と言えば当たり前のことですが。

西蓮寺が現在の地烏山に移ってから70年以上経ちます。引っ越したときに建てた本堂や庫裡(クリ…寺の座敷や家屋)に使われている木材は、当然切り倒してから70年以上経っているわけです。
切り倒されてから年月が経っているけれど、今でも水分を吸収し放出している。呼吸もしている。
木は切り倒されてからも生きているんだなぁって感じました。

木の柱に手を触れてみたり、廊下に寝っころがってみると、全身に伝わってくるものがあります。
柱や廊下に含まれている水分が流れているんだなぁって感じたり、
柱や廊下が蓄えている熱が伝わってきて、あたたかく感じたりします。

人からだって、なにか伝わってくることがあるでしょう。
 溢れそうな涙を感じ取ることができるかもしれない。
亡き人からだって、ぬくもりを感じることもあるでしょう。
 恩という ぬくもり をかけられ続けていることに気付けるときがきっとくる。
そのためには、ふれあい(実際に触れるという意味だけでなく)がなければ、何も伝わってきません。

ふれあいの機会を持ちましょうというよりも、
人との関係を自分から拒否したり、鬱陶しく思っていても、既に私は ふれあい の中を生きている。
水分を、ぬくもりを、感じませんか?

感じられる日が、いつかくるはず。きっとくるはず。

2006年9月18日 (月)

見えてないもんだなぁ

掃き掃除をしています。たとえば、南から北へ向かって掃き掃除をしたとします。で、完璧に落ち葉・ゴミを取ったつもりで振り向きます。でも、たった今掃除をしたばかりなのに、落ち葉・ゴミが落ちているのです。掃除してすぐに葉っぱが落ちてきたとか、ゴミを捨てられたということではなくて、見落としているのです。
南から北に向かって掃除をしたのだから、今度は北から南に向かって歩き直してみます。ポツンポツンと落ちている葉っぱや吸殻。たまには使い終わったティッシュとか。こんなのを見落としてたのか!?ってものまで^^;

人と話していると、いろいろな考え方があることに驚かされます。「あぁなるほど!!」と思えることもあれば、「なにを言ってんだか」なんて思うこともあるでしょう。でも、自分の思考の枠を超えた考え方って、たくさんあるものです。自分ひとりで考えていては、閉じこもっていては、なにも見えてきません。

ある高校のバスケット部の監督が、控えの選手にレギュラーのプレーを、先ずは地に座って見せ、次にイスに座って見せ、最後に立って見せていました。見る角度によって感じ方がまったく違うからだと言っていました。

芝生を見るとき、芝の目に向かってみるのと、芝の目と逆から見るのでは、同じ時間帯だとしても、芝の色が違います。

同じ道を同じ方向に歩いたとしても、昼と夜ではまったく景色が違います。

走っているときと、歩いているときでも、見えてくる景色は違います。

海や空の景色って、ずっと同じ場所に立っているのに、刻一刻と変わります。
   
   
見る方向によって、見るタイミングによって、見るときのこころによって、見え方というものは全然変わってきます。
 
見落としていること、出会ったのに気付いていないこと、たくさんたくさんあります。
見る角度やスピードを変えたり、同じ場所にずっと立っていたり、一歩引いて受け入れてみたり…視野が一気に広がります。


2006年9月17日 (日)

みんな大好き

女でも男でも、嫌いな人はいません。
批判してくる人にも、なにか理由があってのことだと思うし。

                   石田 純一

昨晩テレビを見ていて、石田純一さんのひと言。
嫌いな人・この人嫌だなぁという人がいないと言う石田さんに、他の出演者が「苦情言ったり、批判的な人とかは嫌でしょう」と尋ねたら、「そういうことを言う事情や理由があってのことだと思うから(嫌いにはならない)」と応えてました(ボーっとテレビを眺めていたので、セリフは正確ではありません)。

事情・理由といっても、勝手な思い込みとか自己中心的な想いってこともあるし、言われて腹が立つこともあるとは思うけど、でも、それに怒っていては、それも思い込みであり、自己中心的な想いと同じことだなぁ。
あぁ、そういう考え方もあるなぁって単純に惚れてしまいました。

2006年9月16日 (土)

自分もね

昨日は、新宿・渋谷・池袋に行く用事がありました。
(一日にその三ヶ所を歩いたのは初めてじゃないかな)

 どこに行っても人・人・人

 人の波に押し流されそうでした

 歩きづらいったら ありゃしない

 なんて言ってる私も、そのうちのひとり^^;

2006年9月15日 (金)

今、感じていること

危機感・絶望感・喪失感・孤独感・焦燥感・羨望感・安心感・充足感・満足感・・・

最近「危機感」とか「絶望感」という ことば をよく耳にするような気がしたので、「感」がつく ことば を考えていました。他になにか思いつきますか?

「感」がつく ことば を考えてみたのは、そういう表現をするということは、感じたところから身が動くという行動に移るはずなのではないかなぁと思ったからです。
そのように思ったということは、移ってないんじゃないかなぁという思いがあるから。

「危機感を感じる」(「感」がだぶってる)なんていうけれど、そこから行動に移している人を見たことがない。本当に感じている人は、先ず身を動かしています。
「絶望感」「喪失感」「孤独感」そのものはつらいけど、次の一歩を踏み出す大きな力になるのではないだろうか。
「焦燥感」「羨望感」があるのなら、何をしたら最善なのか一生懸命考えるのではないだろうか。
でも、「安心感」「充足感」「満足感」といったら落ち着いた状態だから、動かなくてもいいのかな。

いろいろ考えてみたら、必ずしも「感じたところから身が動く」必要はなさそうだけど、「○○感」というからには、なにか こころの底から自分を突き動かす感情があるのではないかなと思うのです。
身は動かなくても、思考がはたらく・想いがはたらく。

「○○感」…口先だけで「○○感」があると言えるようなことではなく、なにか行動を起こさずにはおれない、表現せずにはおれない、人に伝えずにはおれない何かがあると思うのです。
そういう爆発力があってこそ「○○感」と表現できるのではないかなと感じています。

2006年9月14日 (木)

いつまでも

昨日書いた阿那律(あなりつ)さんについて もうひとつ。

視力を失ったアナリツ。自分の衣の縫い物をしようとしましたが、針に糸が通りません。アナリツは言います。「どなたか、針に糸を通す功徳を積んでもらえないでしょうか」

「私にその功徳を積ませていただけませんか」

その声、その雰囲気…声の主はお釈迦さまでした。

「お、お釈迦さま!! お釈迦さまにそのようなことをしていただくわけにはいきません。それに、すべてを悟ったお釈迦さまが、これ以上功徳を積む必要がありましょうか」

「アヌルダよ、悟りを求めることに終わりはないのですよ。私も生涯をかけて修行しているのです。私に功徳を積ませていただけませんか」

お釈迦さまは、アヌルダの手から針と糸を受け取り、糸を通されたのでした。


さとりが完成することはない。求める こころ に終わりはない。
生きるということは、常に問いを持ち続けるということ。常に求めるということ。

南無阿弥陀仏

2006年9月13日 (水)

ひと言ひと言は、その一瞬だけのこと

お釈迦さまのお弟子さんに阿那律(あなりつ)という方がいらっしゃいました。

ある日、アナリツはお釈迦さまのお説法中にウトウトッとして一瞬寝てしまいました。
ハッと目を覚ましたアナリツ。自分がウトウトしている間に、お釈迦さまがどのようなお話をされていたのか、他のお弟子さんたちに聞いて回りました。
話を聞いてみると、アナリツが生涯を通して持ち続けていた問いに対する答となるような内容だったようです。

「あぁっ!! 自分が求め続けていたことの大切なヒントとなるようなお話をお釈迦さまはしてくださったのに、私は寝てしまっていた!!」

アナリツは悔やみました。悔やんでも悔やんでも、悔やみ足りないことだったでしょう。

その日からアナリツは、お釈迦さまのお話・一挙手一投足の何も逃してはならないと不眠不休の修行に努めました。
常に神経を集中して起きていたアナリツは、ついには視力を失ってしまいました。しかし、そのために目で見るのではなく、こころで見る力が養われ、天眼(てんげん…すべてを見通す力)第一のアナリツと呼ばれるようになりました。
それほどまでに真摯にお釈迦さまのお説法に向き合った弟子であったと言われています。

真摯にお釈迦さまのお説法に向き合うということは、真摯に自分の人生に向き合ったということ。ただ聞いているだけでは、眠くなってしまいますし、右の耳から左の耳へスルーしてしまいます。自分の人生・生活から生ずる問いを持って初めて“聞く”ということができます。

お話のひと言ひと言はその瞬間だけのことです。いつでも聞ける・聞き逃してもいい話なんてありません。

寝ないように気をつけましょうということではなく、こころの底から聞きたいという想いがあれば、睡魔なんて襲ってこないのでしょう。
   
   
なんてことを書いている私。昨日、ご法話を聞きながら寝てしまいました。一緒に聞いていた仲間に、「かっちゃん寝てたでしょ」と言われてしまいました。
「ん!? 寝てないよ。ちょっとどっか行っちゃってただけだよ」
言い訳にすらなってませんね^^; 仲間の顔が見えませんでした。

2006年9月12日 (火)

6+9=15

忘れてはならない日

いったい 人は

何日の忘れてはならない日を作り出せばいいのだろう
    
    
   
(つぶやき)
「9.11」から5年。
もう5年? まだ5年?
どちらにしても、一気に5年前の「9.11」に飛んでしまう気がする。
その前も後も、いろいろなことがたくさんあるのに。

「6+9=15」
永井隆さんが忘れてはいけないよと、子どもさんに伝えられた数字。
広島に原爆が落ちた日+長崎に原爆が落ちた日=「     」
「   」の中、何が入りますか?
「平和」ではないようです。

2006年9月11日 (月)

見えてますか?

どんなに きれい なところでも

汚れているところだけを見ていては

きたなくしか見えない

そこだけを見ていたら 文句も言いたくなるだろう

そこだけしか見ていなかったら 周りの きれいな景色も目に入らないだろう
   
   
美しいところって

美しいことが当たり前になってしまう

何もしないで 常に ずっと 美しいままなわけはないのに
 
美しくいるために どれだけの汚れを身につけるのだろう

美しさのかげに どれだけの哀しみがあるのだろう

2006年9月10日 (日)

子規庵

昨日、根岸にある「子規庵(しきあん)」に行ってきました。正岡子規の庵です。(こちら
JR鶯谷駅から所々案内が出ていたので すぐにたどり着きましたが、ちょっと奥まった閑静な(?)ホテル街の中にポツンと建っていました。

只今「子規と不折の句と絵のセッション」と題して特別展が開かれています。
(2006年9月1日~30日)

不折(ふせつ)とは、子規と親交のあった中村不折さんのこと。画家としても、書家としても有名です。
半紙に子規の俳句と不折の絵が書かれたものが何枚か発見されました。二人の親交の深さがうかがえます。その一部が展示されています。

狭い庵ですが、病床の子規が眺めた庭は、子規に広い広い世界を創造させたことでしょう。子規が愛用していたという机(後でレプリカだと説明され、ちょっとガッカリ)を前に、そんなことを感じていました。
      
   をとゝひの へちまの水も 取らざりき
   糸瓜咲て 痰のつまりし 佛かな
   痰一斗 糸瓜の水も 間にあはず

                   正岡子規絶筆三句 
 
9月18日、この絶筆三句を書き、19日午前1時頃亡くなられたそうです。
享年34歳と11ヶ月。もうすぐ35歳という時でした。
自分も35歳、いろいろと感じるところがありました。
  
  
「子規庵」に行かれた方は、前にある「書道博物館」にもぜひお寄りください。
企画展「中村不折生誕140周年 不折と子規・鷗外・漱石」が開催されています。
   
   
帰り道、羽二重団子で有名なお店があるので、寄ってきました(こちら)。
お団子も美味しかったですが、セットの煎茶が特に美味しく感じました。
疲れていたので、ちょっと長居させてもらいました。ありがとうございます。

2006年9月 9日 (土)

真宗の救い

イダイケに愚痴られ、なじられても、お釈迦さまは黙って聞いておられます。
説法するでもなく、なだめるでもなく、反論するでもなく、いつまでも いつまでも、黙ってイダイケの想いを受け止めています。

ひとしきり愚痴った後、イダイケは、苦悩のない世界を求めました。
すると釈尊は諸仏の世界をイダイケに見せます。諸仏の世界は数限りなくあります。その数限りなくある諸仏の世界の中から、イダイケは阿弥陀仏の世界を選びました。

ここで勘違いされることは、釈尊が「選択肢としていくつもの諸仏の世界を見せた」と思われてしまうことです。
ある仏さんの世界はこんな感じ、他の仏さんの世界はこんな感じ、また別の仏さんの世界はこんな感じ…さぁイダイケよ、どの世界に生きたいですか? と、尋ねたのではないのです。

釈尊が見せた世界は、現実世界と変わらない世界だと思います。ただ、阿弥陀仏を頼りとして生きるか生きないか、南無阿弥陀仏とお念仏申す生活をするかしないか。
悩み苦しみ、もうこんな生活は嫌だ!! と思った現実世界。でも私たちが生きるのは、この世界以外にないのです。そこから離れて、悩みも苦しみもない、楽しみだけの世界はないのです。ただ大きく違うのは、阿弥陀仏が生活の中にいるかいないか。

イダイケは、今の苦しみを他人のせいにしていました。しかし 釈尊を前にして、すべては私に原因があることに気付いたのです。
幸せを求めていたけれど、私が求めている幸せとは 本当の幸せではないことに気付いたのです(こちら)。
その気付きによって、このような私は阿弥陀仏を頼りとして生きていくしかない、いや、このような私でも阿弥陀仏は慈悲をかけてくださっているということに目覚めたのです。

阿弥陀仏の世界に生まれたいと願ったイダイケは続けて言いました。
「阿弥陀仏の世界に生まれたいと思えた私は救われました。しかし、お釈迦さま亡き後、苦悩の世界に苦しむ衆生は、どうしたら阿弥陀仏の世界に生まれたいと思うことができるのでしょう?」
自分のことでいっぱいいっぱいだったイダイケが、後の世の衆生のことを気にかけています。
このように想える人の誕生が、阿弥陀仏の世界の相続になるのです。そう、たとえお釈迦さまの身は滅んでも。お釈迦さま滅後約2500年、今も阿弥陀仏を想う人、南無阿弥陀仏と念仏申す人がいます。この私に阿弥陀仏の慈悲の光がかけられている証拠です。そして、私がいるということは、これからも相続されていくのです。ここに「真宗の救い」の伝統があるのです。

諸仏の世界・浄土とは、今生きている世界とは別に どこかに楽しい世界があるというのではありません。国土の問題ではないのです。私がどのような生き方をするかという問題なのです。
この悩み多き人生を 嫌だ嫌だと言いながら生きていくのか、悩み多き人生だけど この人生こそ私の人生と歩んでいくのか。南無阿弥陀仏と念仏申しながら。その違いが、この世を穢土として生きていくのか、浄土として生きていくのかの違いになるのです。
浄土とは、死んでから行く世界ではありません。今、私がこの世を浄土として生きていけるのか、生き方を問われているのです。
 
 
 
「一楽先生の話より先に光が丘公園で感じたことを書いてしまいました。順番が逆でしたね^^;」なんて書きましたが(こちら)、実は浄土についてのお話をいただいた後だったので、公園に身を置きながら浄土について考えていたのです(こちら)。だから、私的には順番どおりのこと。
一楽先生のお話を聞いて、感じたことを書いてきました。かなり長くなってしまいましたが、お付き合いしてくださり、ありがとうございます。

2006年9月 8日 (金)

私が一体何をしたというのでしょう!!

アジャセ王は、なに不自由なく大切に育てられました。
が、アジャセ王が大きくなられてから、ある男が現われます。名をダイバダッタといいます。

ダイバは、お釈迦さまの弟子です。戒律をキチンと守り、お釈迦さまを慕う気持ちは誰にも負けませんでした。それだけに、お釈迦さまの教団を継ぐのは私しかいないと強く思っていました。
お釈迦さまは、そんなダイバのこころはお見通しです。教団を自分に譲るよう懇願するダイバを受け付けません。

いらだったダイバは、アジャセの存在に目をつけます。
アジャセに王位を継がせ、自分はお釈迦さまの教団を継ぎ、よりよい国を作ろうと持ちかけます。
王と王妃に大事に育てられたアジャセは、なぜ今父王を退けて自分が王位に就かねばならないのか納得できません。

そこで、ダイバはアジャセ誕生の秘密をバラしてしまいます。
アジャセは驚き、怒りました。
「みんなで私をだましていたのか!!」

アジャセは王を幽閉し、餓死させようとしました。
イダイケは密かに王にさしいれをし、生き永らえさせていたのですが、それがバレて、イダイケまでも閉じ込められてしまいます。

牢の窓から、お釈迦さまが説法されている耆闍掘山(ギシャクッセン)が見えます。
現状に思い悩み憔悴したイダイケは頭をさげ、こころの底から願います。
「釈尊よ、どうか私のために教えを説いてください。もうこんな世の中はたくさんです。でも、お釈迦様が直々においでくださるのは恐れ多いこと。どうぞお弟子を遣わしてください」
このように願い、イダイケが頭を上げると、イダイケの前には、弟子の目連と阿難を伴ったお釈迦さまが立っていらっしゃいました。
   
   
「お釈迦さまにおいでいただくのは恐れ多いこと」と謙虚なイダイケ。
それなのに、お釈迦さまが現われてくださった。
どれほど感謝されることでしょう…
  
  
「釈尊よ、私が一体何をしたというのでしょう!! どうしてあんな悪い子が生まれてきてしまったのでしょう!! うちの子(アジャセ)をそそのかしたダイバダッタはあなたの弟子であり、しかも親族。あなたがもっとキチンと教育していればこんなことにはならなかったのに!!」

イダイケは、不満の限りをお釈迦さまにぶつけ、なじりました。


※一楽先生のお話の聞き書き、もう少し続きます。が、「王舎城の悲劇」について書かないと先に進まないので、だいぶ省略して書かせていただきました。
このイダイケの姿、他人事に見えますか?

2006年9月 7日 (木)

祝・男児お誕生

男児のご出産を望まれているご夫婦がいらっしゃいました。
そのご夫婦には、跡取りとなるお子様の誕生が期待されていました。
誰もが「お子様はまだですか?」「男児はまだですか?」と声をかけます。当のご夫婦こそ、一番気にされているのに、一番望まれているのに。

そのご夫婦のご心労はどれほどのものだったでしょう。
そのご夫婦のプレッシャーはどれほどのものだったでしょう。

ご夫婦は、占い師に尋ねます。
「私たちが子どもを授かることはあるのだろうか…」
「ご安心ください。お子様を授かることでしょう。
ただし、山奥に住む仙人がお亡くなりになられて、その生まれ変わりとしておふたりのお子様は誕生いたします」

夫は山奥の仙人に遣いを出します。
「仙人、お前のいのちは あと どれほどだ」
「私の いのち はあと3年でございます」

それを聞いた夫は3年も待ってはいられないと、山奥の仙人に刺客を出して…殺してしまいます。

仙人が亡くなられて、夫人は懐妊されます。
喜んだご夫婦は、占い師に尋ねます。
「私たちの子どもは、男か?女か?」
「お喜びください。男の子でございます。
ただし、その男の子は成人して後、父上と母上を殺害されることでしょう」

ご夫婦は驚かれます。
せっかく授かった子どもですが、成人してから殺されてはかないません。
いよいよ出産というとき、高いヤグラを立て、ご夫人はそこから赤ちゃんを…産み落としてしまいます。

幸い赤ちゃんは小指を折っただけで、いのちは助かりました。
自分たちを殺すかもしれない…しかし、自分たちが待ち望んで授かった子どもです。姿を見たら、可愛くて仕方ありません。私たちはなんてことをしてしまったんだ。
ご夫婦はお子様を大事に大事に育てられました。

ご夫婦のしたこと、ひどいことだと思われますか?
そのご夫婦のご心労はどれほどのものだったでしょう。
そのご夫婦のプレッシャーはどれほどのものだったでしょう。
その心労やプレッシャーを与えたのは、果たしてだれでしょうか?
 
 
夫の名は、ビンバシャラ王
妻の名は、イダイケ
お子様の名は、アジャセと言います。
「王舎城の悲劇」というお話として、現代にも語り継がれています。
お釈迦さま在世、2500年ほど前のお話です。
2500年ほど前のお話です。今のお話かと思われました?
人間の業は、昔も今も変わらないものですね。


※今日の文章も、一楽先生のお話を聞いて書いているものです。
一楽先生が「王舎城の悲劇」のお話をされたので、元々今日書くつもりでいました。
世の出来事に合わせるつもりはまったくありませんでした。偶然というか、これも縁ですね。
お子さまのお誕生、おめでとうございます。

(余談)
昨日の新聞の朝刊に「紀子さま きょうご出産」という見出しが出てました。
「きょうご出産予定」でも「きょうご出産か!?」でもなく、「きょうご出産」という見出しがとても不自然に思えました。
帝王切開だから「きょうご出産」で良いわけですが…。
そんなこと考えるのは、私だけでしょうか。

2006年9月 6日 (水)

“幸せ”の内容

9月2日 練馬の真宗会館に法話を聞きに行きました。
 一楽 真先生(大谷大学助教授)
  「真宗の救い」
  
  
「幸せになりたい」というけれど、“幸せ”の内容ってなんでしょう。

 ①お金や欲しいものが手に入ることですか?

 ②自分の居場所だと感じられるところを見つけることですか?

 ③何でも思い通りになることですか?

 ④自分を磨いて立派な人間になることですか?

自分のことに置き換えて、考えてみてください。“幸せ”の内容ってなんですか?

①欲しいものが手に入ったとして、満足できますか?
もっともっとと果てしなく欲望追求。
あるいは、手に入れてみたらべつに欲しくなかったとガッカリする。

②今いる場所に満足できないで、どうして他の場所で満足できるだろうか。
「自然はいいなぁ」なんていうけれど、そこに住んでいいですよと言われたら困るんじゃないですか?

曽我量深先生は言われました。
一人では淋しいくせに、人がいると鬱陶しいと思う。それが人間世界。
一人でいると静かだなぁ、人がいると賑やかだなぁと喜べる。それが浄土。

③現代の日本は、かなり思い通りに快適になった世界だと思います。 
こんな暑い夏に、クーラーが利いて快適な環境が用意されている。でも、体はますます自然環境に適応できなくなっている。そこでまた快適さを求める。悪循環です。不便さ不快適さを憎み、悪いことだと感じてしまう私たち。

人との関係においても、自分の思い通りになったとしたら、孤独になりますよ。自分の思いを通せば、そのうち誰もいなくなります。

④自分を磨いて立派になって、そんな私は、私自身が見えていない。
他者の振る舞いはよく見えて、言いたい放題。自分の姿はまったく見えていない。
自分はいいことをしている、正しいことをしている、美しい。そんな思い上がりが強くなれば強くなるほど、周りが見えなくなってしまう。

     
“幸せ”の内容ってなんですか?

「こうなることが幸せ」と思っていたことも、ちょっと考えると“幸せ”ではないことに気付く。喜べない私であることに目覚める。
“幸せ”をぶち壊しているのは、誰のせいでもない、私自身の思いに他ならない。

2006年9月 4日 (月)

点ではなく、線

9月2日 練馬の真宗会館に法話を聞きに行きました。
 一楽 真先生(大谷大学助教授)
  「真宗の救い」

「子どもは育てるものではありません。授かるものです」という授業中の先生のことばに感動しました。生まれて初めて聞きました。

大学の前期試験の答案にこのように書いた学生さんがいらしたそうです。
その学生さんにとっては、今までの自分の考え方をひっくり返された衝撃があったのでしょう。その驚きを先生に直接言うのは恥ずかしい、でも伝えたいという思いで答案用紙に書かれたのだと思います。
感動を伝えたい、分かち合いたいという こころ の動きは腰の重い私に行動を起こさせます。その感動は大切にしてほしいなと思います。

でも、
先生は、学生さんの告白をうれしく思うよりも、「“子どもを授かる”という表現を今まで一度も聞いたことがなかった」という事実に驚かれていました。
私もその驚きの方が大きかったです。

今日では「子どもを授かる」とは言わないし、聞くこともないのでしょうか。

最近は「子どもを欲しい、欲しくない」「子どもをいる、いらない」という言い方をよく耳にします。
『子どもを作ることは行為あってのことだから、その表現があっている。「授かる」なんて偽善だ』と言われたことがあります。思い出してしまいました(TT)
でもそれって、子どもをモノ化した言い方だと思います。自分の「思いのまま」に出来るという発想。
だから「欲しい・いる」と言う人は、子どもが生まれた事実に満足してしまう。「欲しくなかった・いらない」と言う人は、子どもを邪魔者扱いしてしまう。結局はどちらも自分を苦しめてしまう。そして子どもも。

「授かり」の事実は、点ではなく線。
生まれたとき、幼くて可愛い頃、言うことを聞く頃だけの“点”でなく、私の生涯という“線”上を一緒に歩んでいく。

子どものことだけではない、人との出会いも、自分の身に起こるあらゆる出来事も、すべて授かりものだと思います。あらゆる「授かり」の事実によって、私が存在する。
「思いのまま」にならないということではなく、思いを超えたはたらきによって私ができていく。
「授かり」には、大切な意味があるはず。そこに目をつぶらないでほしい。点だけ見ていると、線が見えなくなってしまいますよ。
  
 
※今日の文章は、学生さんがこういうことを書いてましたという先生の話を聞いて、私が感じたこと(感話)を書きました。先生の話そのものではありませんので、ひと言添えさせていただきます。
法話の感話よりも先に、法話の後で光が丘公園をブラブラしていて感じたことを先に書いてしまいました。順番が逆ですね^^;

2006年9月 3日 (日)

間(ま)がもたらす余裕

昨日東京は、歩いていると汗ばむ陽気ではありましたが、爽やかで心地よい気候でした。
練馬の真宗会館に法話を聞きに行ったあと、近くの光が丘公園に足を延ばしました。
とても広い公園で、爽やかな気候の中、ブラブラ歩いていました。

犬の散歩をするご婦人・ジョギングをするおじさん・キャッチボールをするカップル・野球をする家族・サッカーをする家族・スケートボートをする若者・ジャグリングの練習をする中学生・トランペットの練習をする女子大生・虫取りに夢中のお父さんと傍観する子ども・ゴムで手作りの飛行機を飛ばすおじいさんetc etc

いろいろな人が思い思いのことをして過ごしていました。
公園に足を踏み入れてから「なんかいいなぁ」という感覚がありました。広くて爽やかな気候だからかなぁって最初は思いました。
でも、園内を歩いていて気付いたのは、注意書きが少ないなってことでした。「あれをしちゃダメ」「これをしちゃダメ」っていう。
今、公園でキャッチボールや野球なんて出来ないじゃないですか。犬の散歩を禁じている公園もたくさんあります。楽器の練習なんてもってのほか。
でも、そういうことをしてはいけないという注意書きがない。かといって、みんな好き勝手やってるかというと、ちゃんと周りに気を遣っているいるように感じました。

キャッチボール・野球・サッカーをする人たちは、キチンと周りとの距離を保って、犬の散歩をする人はみんな糞の処理袋を持っていました。
まぁ、当たり前と言えば当たり前なんですけどね。
確かに、ゴミも捨ててあったし、自転車で猛スピードで走るような人もいました。犬の糞を始末しない人もいることでしょう。でも、公園にいる人の多くが、自分なりに決まりを作って、みんなで楽しめるようにしている気がしました。だから、公園に足を踏み入れたときに何かを感じたんだと思います。

今、注意書きやお願いが多いじゃないですか。公園・駅・電車の中・公共の場。「あれはダメ」「これはダメ」「電車は自分の部屋ではありません」とか。
注意書きが必要な社会になってしまったといってしまえば、確かにそうなのかもしれません。でも、注意書きやお願いの多い環境、どう思いますか? 息苦しくないですか? 恥ずかしくないですか? 他人がやってるのは許せないけど、自分はちょっとだけならって甘くなってませんか?

注意書きやお願いが貼ってあるから規律が守られるという面もある。注意もしやすい。
でも、あまり過剰になりすぎると、自分で良い悪いを判断する力がなくなってしまう。
例えば電車の優先席。自分が子どもの頃は「お年寄りと体の不自由な方にお譲りください」とだけ書いてあった気がする。今は「お年寄り・体の不自由な方・妊婦・小さなお子さん連れの方」など、譲る対象が増えた気がする。
譲るのは当然のこと。でも、以前は「お年寄りと体の不自由な方」とだけ書いてあっても、妊婦や小さい子連れのお母さんに席を譲っていた。自分で譲るべき人を判断して、譲ってたと思う。そういう想像力があった。
今は譲る対象を書きすぎるあまり、それ以外の人には席を譲らなくなってしまう。それどころか、譲る対象にすら席を譲らない。困っている人がいる・大変な人がいるという想像力・判断力が欠如してしまっているような気がする。

注意書きやお願いが貼ってないから好き放題する人もいるけれど、ないからこそ、どうしたらいいのか、どこまでならいいのか考える。自分で線引きをする。やらされてするわけではないから苦にならない。みんなが守るから、自分も守る。

思うんですけど、決まりごとを守らない人がたくさんいるように錯覚してしまうけど、守らない人って実は少ないのではないでしょうか。
たとえば、ゴミ捨て場ではないところにゴミを捨てていく人。たった一人だけのこと。それまで何十人・何百人と所定の場所にゴミを捨てていても、たった一人が公共の場にゴミを捨ててしまえば、じゃぁ私もとみんな捨てていく(いけないことをマネする人は多いですけどね)。
捨てられたほうは「なんで? 情けない。張り紙でもしとくか」となってしまう。悪循環。その結果が今の日本なのでしょう。

実際、注意書きがなくなってどうなるのか分かりません。今よりもっとひどいことになるかもしれません。でも、元々注意書きが無い社会だったんですから、そこに戻れないのですか? 一度「注意書き」だらけの世の中に慣れてしままうと、注意され続けないと自分で何も判断できないのですか?
  
  
なんて書きましたが、広~い空間が人間にもたらす余裕ってあるんだなぁって思いました。
公園、スッゴク広いんです。見渡す限りの原っぱ。邪魔なものがなにもない空。
こういう間が欠けてるなぁ、こういう空間が生活には必要なんだよなぁって思いました。
家の中を考えてみてもそうです。今の住宅事情では、廊下や縁側が狭かったり無かったりします。でも、廊下や縁側という空間が、人に余裕やゆとりをもたらしているそうなんです。でも、今そういう空間が無い。こころが閉じこもってしまうのも当然の成り行きなのかもしれません。
(「間取り」と言うけれど、空間をどう取るか、生かすかという意味があるのかもしれませんね)
気持ちが沈んだり、ワッと叫びたくなったら、広い空間のあるところに時間を作って行って、何時間でも身を置きましょう。きっと落ち着きますから。狭くなっていた思考が広がりますから。
(だから飛行場や本山の阿弥陀堂が好きだったのかな)

公園で2時間、ブラブラ歩きながら、時にはベンチに座りながら、空や木々を眺めていました。
贅沢な時間と空間でした(だから どっちにも“間”という字が入っているのかな)。

2006年9月 1日 (金)

2006年9月のことば

 Pict0264
       苦悩の旧里はすてがたく
       安養の浄土はこひしからず

                      親鸞聖人

8月、「故郷(ふるさと)」について考えていました。夏休みやお盆休みになると故郷に帰ります。乗り物が満員なのに、渋滞すると分かっているのに、休むつもりが疲れてしまうのに、それでも故郷に帰る。故郷の持つ力って凄いなぁ、故郷が私に呼びかけるはたらきって偉大だなぁって想っていました。
私は東京生まれの東京育ちなので、故郷と言っても東京になりますが、母が長崎出身なので、長崎にとても愛着があります。子供の頃は、夏休みになると真っ先に長崎に行き、夏休み中長崎で過ごしていました。
また、京都にも愛着があります。京都の大谷祖廟には祖母のお骨を分骨して納めてあるので、幼い頃からお参りに連れて行ってもらっていましたし、学生時代を過ごした町でもあります。長崎と京都、私にとって大切な故郷です。
 故郷とは、生まれ故郷という意味だけではなく、安心する場・ありのままの自分でいられる場。自分にとって大切な場という意味での故郷が誰にでもあると思います。あなたはどこの場を慕(おも)いますか?

今月のことばは、『歎異抄(たんにしょう)』第9章にあります親鸞聖人のおことばです。第9章は親鸞聖人と弟子の唯円さんの会話で始まります。
南無阿弥陀仏とお念仏申しても喜びのこころが湧いてきませんと尋ねる弟子の唯円に 親鸞聖人は「私もです」と応えます。そして、「お念仏申して喜べないのは煩悩を持つ身だからである。でも、阿弥陀如来はそんな私を見捨てずに慈悲のこころをかけてくださっている。なんとたのもしいことであろうか」と説いてくださいます。
「苦悩の旧里」とは、念仏申しても喜べない、煩悩を持つ私の姿を表現したものです。此岸です。此の岸です。こっちの岸です。「安養の浄土」は彼岸です。彼の岸です。あっちの岸です。
親鸞聖人は、念仏申しても喜べない弟子に対し、「それではいけない」と諭されたのではありません。

 久遠劫(くおんごう)よりいままで流転(るてん)せる
 苦悩の旧里(きゅうり)はすてがたく、
 いまだうまれざる
 安養(あんにょう)の浄土はこいしからずそうろう
           『歎異抄』第9章より

はるか昔からこんにちまで、限りない流転を続けてきたこの苦悩の故郷は、どうしても捨てがたく、まだ生まれたことのない永遠の安らぎの世界である阿弥陀如来の浄土が恋しく思えないということは、まことに盛んな煩悩だからでありましょう。
煩悩を持っている私こそ本来の私なのです。「このままじゃいけないなぁ」「自分はなんて汚い人間なんだろう」「なんとかしなきゃ」と思うことはあっても、なかなか変えられるものではありません。
実は、今の私こそ一番居心地がいい故郷なのかもしれません。苦悩の旧里は捨てがたいものなのです。まだ見ぬ安養の浄土に恋しい気持ちが湧かないのも無理はないのです。
あせって念仏を喜ぼうと思わなくても、此岸から彼岸に渡ろうと思わなくても、娑婆の縁が尽きたとき浄土に渡らせていただけるのです。この煩悩多き私が。こんな私を浄土に渡らせてくださる阿弥陀如来のなんと頼もしいことであろうか。
煩悩持つ身であるからこそ、阿弥陀如来の慈悲が私に注がれる。だからこそ、悩み苦しみの世界を、苦悩の旧里を安心して生きていける。そう、今このいのちをいただいて生きていけるのは、阿弥陀如来の慈悲が既に届いている証拠。だから温かい。だから懐かしい。だから捨てられない。

 いのち終るまで
 いっしょにくらし
 いずれ別れる煩悩なれば
 今は だいじに見まもります
            榎本 栄一

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