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2006年8月 3日 (木)

明日ありと

明日ありと思う心のあだ桜
  夜半に嵐の吹かぬものかは

               親鸞聖人

8月の ことば の最後に親鸞聖人が詠まれた和歌を載せました(こちら)。
あえて直接の現代語訳は書きませんでした。そこまでの文章がすべて意味しているので。
でも、和歌を詠まれたときの状況を書いておきます。

親鸞聖人は、9歳のとき(1181年)に出家されます。出家の動機は明らかではありません。
親鸞9歳のある晩、京都 青蓮院の慈円和尚を訪ねます。
すでに夜も更けていたので、「得度の儀式は明日にしましょう」と慈円和尚は言います。
そのときに親鸞聖人は
明日ありと思う心のあだ桜夜半に嵐の吹かぬものかは
と詠まれました。

「この世は無常です。明日があると思っていると、夜中に嵐が吹き、美しく咲き誇っていた桜も 瞬く間に散ってしまうかもしれません。私の いのち も同じです。いつ尽きるか分からぬ いのち です。どうか 今晩のうちに、得度させてください」

出家を急いでいたというわけではなく、今を大切にしてのお姿なのだと思います。
1181年は、源平合戦が始まった頃でしょうか。現代の私たちとは比べものにならないほど、いのち について考えていた時代ではないでしょうか。

(余談1)
親鸞の歌ではないとか、9歳の子供がこんな歌を詠めるはずがないという説もあるのですが、そんなことはどうでもいいことだと思います(乱暴?)。
そもそも伝説って、怪しいものが多いです。真偽を確かめたら、そのほとんどが“偽”だと思います。でも、そういう伝説が残るというところにリアリティやロマンを感じます。
伝説が残されるべき人物であったということです。形にならない何かを残したからこそ、何かを感じたからこそ、伝説が生まれるのだと思います。

(余談2)
たとえ明日 この世の終わりが来ようとも、今日わたしはリンゴの木を植える
                                    ルター

ルターと親鸞は似ていると言われることがあります。

「宗教改革者である」
キリスト教・仏教、宗教は違うけれど、それぞれに改革をもたらしたと言われることがあります。
ご本人が聞いたら「そんなことはしてないです。キリストのことば(仏のことば)に従ったまでです」と言われそうな気がします。

「境遇が似ている」
今でこそ改革者と言われ、大切なお仕事をされた方であると讃えられますが、
当時としては とんでもないことをしてくれた人という認識が教会や朝廷にはありました。
つまりは大罪人。いのち の危険にさらされたり、流罪に処せられたりします。
そのような経験を通して、さらに独自の宗教観が構築されていく。そのような経緯を似てると評されることもあります。

「ただひたすら」
宗教というと、神や仏に祈り願う方が多数だと思いますが、その見返りを期待していませんか?
祈る・願う・念じる・お金を払う。これだけのことをしたのだから、より良い生活を・よりよい世界を・死後の安住をなどなど。見返りを求める信仰。
ルターや親鸞は 信仰に見返りを求めるたりしません。神に祈る・南無阿弥陀仏と念仏申す、私たちはそういう功徳をいただいているのであって、ただひたすら祈る(念じる)しかないのだと言われます。
求めるのではない、すでにいただいているのです。
   
   
似てるか似てないかはどうでもいいのですが(乱暴?)、
「2006年8月のことば」は文章を書いていて、ルターの ことば を 親鸞の ことば で〆てみたいなぁという気持ちになりました。

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コメント

「この世は無常です。」
いつ何時、何があるかわからない。
事故、事件、病気、etc・・・
いつもこれらの事ばかりを考えてたら気が滅入ってしまうので、
今日の、朝を迎えられた事にとりあえず感謝!

☆teruさん こんばんは
“無常”というと「形あるものはいつか滅びる」という感覚ですが、
「生きる」という“無常”もあるなぁって感じます。

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